神武(じんむ)天皇の疑問点


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

神武天皇は皇統譜(こうとうふ;皇室の戸籍簿)で最初の天皇とされて、神武天皇の歴史に信憑性(しんぴょうせい)があると信じて実質の初代天皇とする人物もいる。
しかしどんなに歴史に信憑性がありそうでも、創作されたことが間違いない天皇は必ず分かるものである。
在位期間は76年であることも、崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)した年齢が127歳であることも、神武東征(宮崎県から奈良県まで行って即位したこと)も全て謎でなくて、全てひもとけるのが僕だけである。
神武天皇のありとあらゆる疑問点は、アインシュタイン博士以上の天才の僕だとただの茶番劇で済(す)ませられて、全てに解答することも可能だろう。

歴代天皇は外交用の呼び方の漢風諡号(しごう)と国内用の呼び方の国風諡号が存在して、神武天皇なら神武が漢風諡号で、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)が国風諡号である。
神武天皇から2代前の系図の神様は、火火出見尊(ほほでみのみこと)という名前で、『日本書紀』の日本神話で神武天皇の呼び名が神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれびこほほでみのみこと)となっている。
神武天皇は実在した初代の崇神(すじん)天皇と5代目の仁徳(にんとく)天皇を祖先化して、二人の実在した天皇をあたかも祖先として作って祭り上げて、神武天皇が実在したように思わせるために、仁徳天皇を神格化した火火出見尊の神名と神武天皇の国風諡号を合体させた。

『日本書紀』で神武天皇は架空の初代天皇として「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と記して、実在した初代の崇神天皇も「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」の称号を持っていて、僕が書き換えるなら「初国知(はつくにし)らす天皇(すめらみこと)」と書く。
神武天皇が「始馭天下之天皇」の称号を持つことは、崇神天皇も「御肇国天皇」の称号を持つことで初代天皇と認めさせる意味があって、実在性を高める狙いがあったものと予測される。
『日本書紀』で神武天皇は、古代太陽神の饒速日命(にぎはやひのみこと)より日本国の呼び名を「空見(そらみ)つ日本(やまと)の国」としたと記される。
実質の初代の崇神天皇(神武天皇に祖先化)は、古代太陽神の饒速日命(崇神天皇の実兄の彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)より日本国の呼び名をもらったと考えられる。
日本国の呼び名(国号)をもらった時の饒速日命(彦坐王を神格化)は、神武東征の時の饒速日命が神格化している人物が違って、日本神話を完全解釈できる僕以外に誰もひもとけない。
これ以外に崇神天皇を神武天皇に祖先化した例は、あまり多く見受けられなくて難しい。

神武天皇は在位期間は76年で、崩御年が127歳なのが嘘くさくて、干支(えと)の60年周期を利用して60年加算しているだけで、実際の在位期間が16年で、崩御年が67歳だと考えるのが自然である。
『日本書紀』は歴代天皇全員の即位年が干支で記されて、歴代天皇の在位期間が百年以上になる理由も60年の足し算引き算で簡単に説明できて、神武天皇も例外でない。

神武天皇の皇后は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)で、6代目・大物主神(おおものぬしのかみ;彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を神格化)の子孫・八重事代主神(やえことしろぬしのかみ;葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を神格化)の娘である。
八重事代主神(葛城襲津彦を神格化)は、大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)の息子の事代主神(ことしろぬしのかみ;濡渟(うかずくぬ)を神格化)と別神である。
は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
ただ大物主神と大国主神は同一神とされて、互いに出雲王国(物部(もののべ)氏の王国)の人間を神格化して、八重事代主神(葛城襲津彦を神格化)も出雲王家の物部氏の血筋を受け継いでいる。

神武東征は敵も味方も多く存在して、普通に考えると不思議でないかもしれないが、神武天皇が辺境の未開拓の地域に侵略するのなら、全てが敵で味方が一切いなくてもおかしくない。
このことから考えると、神武東征は日本各地が天皇家によって平定されて、敵と味方になる古代豪族が幾らもいたと考えられて、神武東征の神武天皇の時代が古代天皇家の歴史でもかなり後世と考えられる。
つまり神武東征は、5代目の仁徳天皇の東征で、略して仁徳東征であると考えられて、崇神天皇の東征で崇神東征でないと結論付けられる。
仁徳東征で仁徳天皇に服従したのは、古代太陽神の饒速日命(初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)だと考えられて、百歳を超える忠義の大臣と考えられる。
しかし初代・武内宿禰は百歳以上まで生きたと記されず、2020年1月に73代目の武内宿禰を名乗る竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が亡くなられたが、古代から現代まで歴代の武内宿禰を先祖代々に渡って名乗って来て、饒速日命が2代目か3代目くらいの武内宿禰の可能性も考えられる。
どうであるにしても、神武東征は仁徳天皇の東征で、仁徳天皇時代の史実を祖先化した物語であって、神武天皇の疑問点など比較的簡単な問題だった。

神武天皇陵は畝傍山(うねびやま)の東北の陵と記されるが、神武天皇が架空の作られた天皇だから、神武天皇陵が全く天皇家と関係ない埋葬者かもしれない。
神武天皇陵の情報は不確かで、神武天皇陵として全く何もない所に天皇陵を建造したとか、本当なのかよく分からない伝承もある。
どちらにしても神武天皇陵は、本当の天皇陵でない可能性が高いのが確かである。
ふたを開けてみればアインシュタイン博士以上の天才の僕からすれば、神武天皇の疑問点は程度の低い問題でひもとくのが朝飯前である。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古代日本史への挑戦』
僕・著者 株式会社オカムラ・発行
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