僕の自殺願望と殺人願望


僕が自殺願望の持ち主であることは2冊の著書と出版していない本にも記している。

僕の自殺願望は最初の自殺未遂とリストカット(自傷行為)をした2004年11月18日以前から自分の中に自殺願望があることを理解していたが、自殺願望が生まれたのが短大生の頃だと思っているが正しいか分からない。
最初の頃の自殺願望は、最初の自殺未遂をした2004年だとアインシュタイン博士クラスの超天才や天皇家の歴史の重責などにさいなまれていた。
しかし今の自殺願望は、天皇家誕生1938年やアインシュタイン博士の後継者的存在やそれ以上の超天才や世界的救世主としての重責などにさいなまれて、自殺願望が出るたびにその重責やそれらから解放されて死にたい思いなどに苦しめられる。
僕の自殺願望は誰にも理解できるはずがなく、世界でただ一人僕だけがこの重責を背負っていて、これだけのことを抱える人間など他に存在するはずがない。

僕が自殺願望を抱える理由は、大江高校生の1997年10月8日午後1時42分に一緒に暮らす祖父が亡くなったことで、その時僕が修学旅行3日目の長崎市で自由行動だった時間で、祖父の死を看取(みと)れなかったことに起因する。
僕は祖父が福知山市民病院に入院していた時、修学旅行に出掛ける前の土曜日に学校の帰りに一度だけお見舞いに行って、祖母に付き添われて病室に戻ろうとしていた祖父と一分足らずの会話をしたのが最期となった。
僕は修学旅行から帰って来た日、従兄が福知山駅に迎えに来ていてそこで祖父の死を知って、お通夜で自宅の仏壇の前で親戚を前にして祖父の死に目に会えなかったことを泣いた。
僕はお祖父ちゃん子と言えばそうなのだろうが、祖父を看取ってあげられなかったことが心をさいなんで、高校に通いながらも1ヶ月近く心の中でふさぎ込んでいた。
祖父の死に立ち会えなかったことがきっかけで、命・魂・精神について考えるようになって、その後に戦争・平和についても考えることになって、命・魂・精神・戦争・平和に固執するようになった。
命・魂・精神・戦争・平和を考えるようになった僕は、日本国政府の取る太平洋戦争の考え方、宗教の精神的概念や神様、仏教や神道の根本的な考え方など色々と考えるようになった。
命・魂・精神・戦争・平和を考えたことは、僕が人間として成長する上で大きく影響を与えた。

24才の誕生日の10日前である2004年11月18日に僕は最初の自殺未遂とリストカットを同時にして、統合失調症と診断されて、もみじヶ丘病院に3ヶ月入院して、凡人(僕以外の人間)の抱える自殺願望と僕の自殺願望が異質で、世界中の誰も僕のことを理解できなくて当たり前のことである。
その後もリストカットと自殺願望を同時にして、2度目が2008年1月7日の午前1時か2時頃で、3度目が2009年7月14日の真夜中だった。
その後も何度かリストカットと自殺願望は、同時に出ない場合もあると思うが、繰り返し続けて自分を抑(おさ)えきれなくて、4度目のリストカットが2018年6月12日だけど、衝動的で歴史研究と関わりがない。

2021年10月1日に眞子様の結婚に関する記者会見を宮内庁がして、僕が眞子様のインターネットの書き込みで、結婚に反発する人々が「妬(ねた)み」や「嫉妬(しっと)」を抱(いだ)くからと言うのを見た。
眞子様の結婚に国民が怒るのは、「妬(ねた)み」や「嫉妬(しっと)」だとして、それが僕の歴史研究に向く恐怖に駆(か)られて、10月2日の午後5時23分頃に土師川橋(はぜがわばし)の真ん中(約10メートル;3階分の高さ)から飛び下り自殺未遂をして、福知山市民病院の救急外来に運ばれて、小腸が切れて、両手首と左肩を骨折したのが判明した。
自殺未遂をした当日の午後8時頃、切れた小腸の手術をして、臍(へそ)をなぞって上下に15cmほど切って、長い小腸を70cmほど切って繋(つな)いで、手術の時間などが聞いた情報である。
10月13日の午前9時頃から左肩と左手首の骨折の手術をして、両方に金属のボルトを埋め込んで、10月21日の午前9時頃から右手首の骨折の手術をして、金属のボルトを埋め込んだ。
福知山市民病院は、10月29日の午後2時頃に退院して、もみじヶ丘病院で主治医の診察を受けて、同日の午後4時頃に2階西病棟に転院して、12月8日に外泊退院した。
埼玉県朝霞市で一人暮らしした叔母(母の妹)が亡くなって、両親が車を運転して行くことになって、僕一人を自宅に置いて行くのが心配で、僕も少々不安で、12月16日の午前10時頃に再び、もみじヶ丘病院の2階西病棟に任意入院して、12月21日に本退院した。
眞子様のインターネットの書き込みは、僕の不安をかき乱して、歴史研究に起因しながら、飛び下り自殺未遂して、インターネットの恐怖を感じて、再び繰り返さない自信がない。
インターネットで僕は、普段から自分の名前などを検索して、もし僕の誹謗(ひぼう)・中傷が目に付いた場合、自殺しないと言い切れなくて、僕のパソコンの中にデータが残っていれば疑われて当然である。

僕は飛び下り自殺未遂が例外だが、ずっと誰にも気付かれない時を選んで、自殺未遂を繰り返して、良くないと分かっても止められなくて、それをずっと繰り返し続けるだろう。
僕にとって自殺未遂は、一生繰り返し続けるだろうが、自殺願望が無くなるはずもなく、決して自分の日常で無くせるわけもない。
自殺と言う死に逃げるのは、僕自身が全(すべ)てから逃げて、卑怯(ひきょう)なことでも消せない痛みである。

僕は天皇家誕生1938年やアインシュタイン博士以上の超天才や彼の後継者的存在や世界的救世主としての重責を抱えて、その重責を理解できる人間などこの世に存在するはずもなく、僕が常に孤独な天才としての責務を果たさなければならない。
これは僕の運命や宿命や天命で、誰にも決して汚(けが)すことのできない神聖な思いで、それゆえに僕が他の人々から聖者や賢者と呼ばれることになるかもしれない。
人は神で神が人であって、亡くなった者を神様として神格化したもので、神様も自殺するのが人だから当然で、思い悩むことが神も人も同じである。
神の人も同じ神であり人間でもあって、思い悩み苦しみ続けるのが正しい神と人の在り方で、何の変わりもないものだということを知るべきである。

2017年から2019年の間だと思うが、僕は自殺願望から殺人願望に変わったことが2度あって、危険な兆候であることを知っておいてもらう必要がある。
一度は福知山市拝師のセブンイレブンで店員や客をナイフで刺して、刑務所で著作権を公表することを考えて、クリニックまほらのカルテを見てもらえば分かるはずである。
明確な殺人願望は、もっと何回かあるかもしれないが、両親を殺して著作権を公表することを考えたりもした。
僕は自殺か殺人をして、命の終わりを告げた後で、僕の著作権の公表をする考え方をしている。
僕は自殺した後、僕の著作権を公表してもらう筋書きを考えて、よく主治医やデイケアなごみの職員などに相談する。
コペルニクスは、敬虔(けいけん)なキリスト教徒で、死後にキリスト教の天動説に反する地動説の著書を出版して、僕もコペルニクスのように死後に出版したいのかもしれない。
自殺願望にしても殺人願望にしても僕は、非常に危険な精神状態になって、注意する必要があることを訴えておく。

短大に入って一人暮らしをするようになって、自由になった中で自殺願望がいつの間にか形成されたと僕は考えている。
僕の自殺願望はいつしか自分の中に日本や人類の破滅願望を生み出して、地球環境や戦争・紛争で破壊をする人間に対する絶望を増長することになった。
僕は自分の自殺願望がいつしか他人への殺人願望などにならないかなどを心配することもあって、自分を殺すことに執着し続けるのか自分のことがよく分からない。
僕の自殺願望は歴史研究の公表をしてもおそらく消えず、一生に渡って僕が生き続けている限り消えなくて、永遠に苦しむことになると思っている。
僕は自殺願望と殺人願望の持ち主で、自分がいかに弱い心の持ち主か知っていて、多くの人に見守ってもらう必要がある。

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