神様も人物も女性中心


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

日本神話は、最高神で女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が処女で、5人か6人の子供の神様がいて、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争が女王の卑弥呼と台与(とよ)がいて、卑弥呼が一生独身で、台与(とよ)の子孫が存在するか分からなくて、天照大神(あまてらすおおみかみ)が卑弥呼と台与(とよ)を神格化した説があって、古代日本史で女性が活躍したと思い込ませて、これらが母系(女系)の社会があった固定観念や先入観を生み出した。
しかし正しい解釈ができない現代人(僕以外の人間)は、日本神話も邪馬台国(やまとこく;大和国)論争も倭(わ)の五王も、専門家(考古学会と歴史学会)の馬鹿な考え方を信じ込んで、根本的に疑(うたが)うことを知らない。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、『ホツマツタエ』で元々が男性の太陽神の天照神(あまてるかみ)が前身で、邪馬台国(やまとこく;大和国)と女王国(伊勢国)を同一国と信じて、卑弥呼と台与(とよ)を女王と勝手に思い込んで、史実・真実・事実を求められる人間が僕以外に存在しない。

伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、国生みや神生みの女神で、夫の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)との神話を聞いた人も多いと思う。
『ホツマツタエ』でイサナキ(伊弉諾;いざなぎ:垂仁(すいにん)天皇を神格化)とイサナミ(伊弉冉;いざなみ:狭穂姫(さほひめ)を神格化)は、未熟児のヒヨルコ(火夜子;ひよるこ:誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)を生んで、イサナミ(狭穂姫(さほひめ)を神格化)が自然神で火の神様のカグツチ(狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)に火傷(やけど)を負わされて亡くなった。
「記紀」で伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)は、国生みで未完成な島の淡洲(あわしま;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)を生んで、伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)が息子で火の神様の軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)を生んで、火傷(やけど)を負わされて亡くなった。
物部(もののべ)氏は、火の神様に神格化して、実兄で火の神様の軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)、実妹で火傷(やけど)した伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)、その息子の火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)で、全(すべ)て火の神様である。
最初に伊弉冉尊(いざなみのみこと)に神格化した狭穂姫(さほひめ)は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)に神格化した垂仁(すいにん)天皇の最初の皇后で、後の2人の皇后も伊弉冉尊(いざなみのみこと)に神格化したが、物部(もののべ)氏の血筋でないため火の神様に神格化されてない。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;樺井月姫(かばいつきひめ)を神格化)は、女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を生んだ。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;日葉酢媛(ひばすひめ)を神格化)は、男性で月の神様の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と昼子姫(ひるこひめ;大中姫(おおなかひめ)を神格化)を生んだ。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)は、息子の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を生んだ。
『ホツマツタエ』と「記紀」を総合すると国生みの夫婦神(垂仁(すいにん)天皇と皇后3人を神格化)の子供は、火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)と天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と昼子姫(ひるこひめ;大中姫(おおなかひめ)を神格化)となる。
天照大神(あまてらすおおみかみ)と月読尊(つくよみのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の姉弟は、国生みの夫婦神の子供で、三貴子(みはしらのうずのみこ)と言う3人の貴(とうと)い子供の意味で、倭姫命(やまとひめのみこと)と景行(けいこう)天皇の異母姉弟と景行(けいこう)天皇の息子の日本武尊(やまとたけのみこと)たち計3人を神格化して、『三国志・魏志倭人伝』の卑弥呼と男弟(だんてい)と男王(だんおう)に当たる。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)は、伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)が焼死した後、伊弉冉尊(いざなみのみこと;樺井月姫(かばいつきひめ)と日葉酢媛(ひばすひめ)を神格化)を皇后に迎(むか)えて、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)をもうけて、父親だけで姉弟が生まれた神話の理由がここにある。
日本神話を完全解釈できる僕は、簡単にひもといて色々求めるのに何の苦労もない。

古代中国人は、卑弥呼と台与(とよ)が女王で、邪馬台国(やまとこく;大和国)と女王国(伊勢国)を別々に記して、現代人(僕以外の人間)の多くが古代中国人の勘違いを受け入れて、現在の古代日本史研究の常識を形成して、古代日本史で女性が活躍したと信じる。
女王国(伊勢国;三重県中部)の卑弥呼は、伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕(つか)える未婚の皇女)の倭姫命(やまとひめのみこと;邪馬台卑弥呼)で、邪馬台国(やまとこく;大和国)の台与(とよ)が摂政(せっしょう;天皇に代わって政治する役職)の神功(じんぐう)皇后(抹消した名前が豊姫命(とよひめのみこと);台与卑弥呼)で、女帝に近い権限を持つが女帝でない。
皇族の倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)と神功(じんぐう)皇后(台与;とよ)は、女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に神格化するが、父系(男系)の皇室の祖先神であるか疑問が浮かぶ。
倭姫命(やまとひめのみこと)は一生独身で、父系(男系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の血筋が途絶(とだ)えて、天岩戸隠(あまのいわとかく)れ以後の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が母系(女系)で、武烈(ぶれつ)天皇までその太陽神の血筋が続いて、その太陽神の血筋が現在の皇室まで続くと信じる。
現在の日本国政府は、父系(男系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の血筋が続くと信じるが途絶えて、母系(女系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の血筋が続いて、伝承から求めた史実・真実・事実でも、父系(男系)でなく母系(女系)が重視されて、女性天皇・女系天皇や女性宮家の皇位継承問題にとって致命的である。
しかし伝承は伝承で、伝説的な日本神話であって、たとえ史実・真実・事実でも、論理的にも科学的にも根拠がなくて、古代天皇家の伝聞を語り継いだもので、それを父系(男系)の伝統にする神経がおかしく、正しく判断してほしい。
父系は父の父…そのまた父とさかのぼるように、父系が男系で、母系なら女系とも言い換えられて、遺伝子なら父系が精子…Y染色体で、母系ならミトコンドリアDNAでさかのぼれて、男系男子天皇と女性天皇・女系天皇などの継承問題に関係する。

天照大神(あまてらすおおみかみ)の息子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)は、7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)の娘の栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)と結婚して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと:即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)が生まれた。
天津彦根命(あまつひこねのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)は、孫の天津彦根火瓊瓊杵根尊(あまつひこねほのににぎねのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)と共通の「天津彦根(あまつひこね)」の名前で、『日本書紀』の神名が共通する。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の弟の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)は、息子の天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が生まれて、その息子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)が生まれて、実際の日本神話の血筋と異なる。
倭姫命(やまとひめのみこと)は一生独身で、父系(男系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)に子供がいなくて、倭姫命(やまとひめのみこと)の異母弟の景行(けいこう)天皇の血筋が続いて、月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)が入れ替わる。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の長男は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)で、弟が天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)だが、日本武尊(やまとたけのみこと)が伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の太陽神殺しで系図から外(はず)れる。
天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)と息子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)が天と穂の漢字が共通して、天穂日命(あめのほひのみこと)が末名の尊称の「尊(みこと)」より下位の「命(みこと)」が使われて、太陽神殺しが理由である。
歴代の高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、最高神の天照大神(あまてらすおおみかみ)と同格ほどと考えられて、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が最高神と言うほど高位の神様と考えられて、7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)の娘の栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)自身が天岩戸隠(あまのいわとかく)れ以後の最高神の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)で、神格化に何の不思議もない。

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の夫婦は、初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと:即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)をもうけた。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみことを神格化)と木花開耶姫(このはなさくやひめ;仲姫(なかひめ)と高城入姫(たかぎいりひめ)の姉妹を神格化)の夫婦は、2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と火酢芹命(ほすせりのみこと;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を神格化)と火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)をもうけた。
2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は古代太陽神で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の本当の子でなく、栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の父である7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)の先祖で、子孫の初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)が太陽神でなく、この一族が物部(もののべ)氏で、先祖と子孫が火の神様である。
栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の息子は、初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)と火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)で、2人共に物部(もののべ)氏の血筋だから火の神様である。
仲哀(ちゅうあい)天皇と神功(じんぐう)皇后の息子は、長男の誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)と次男で皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと)で、『日本書紀』で大酒主(おおさかぬし)の娘の弟媛(おとひめ)が誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)で、神功(じんぐう)皇后が誉田別尊(ほむだわけのみこと)を生んだが、『古事記』の同母兄弟が正しい。
初代・火明命(ほあかりのみこと)と火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)は、物部(もののべ)氏の火の神様で、弟媛が物部(もののべ)氏の出身か不明で、神功(じんぐう)皇后が間違いなく物部(もののべ)氏の出身で、同母兄弟でないと初代・火明命(ほあかりのみこと)に神格化した人物が存在しないことになる。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみことを神格化)と木花開耶姫(このはなさくやひめ;姉の高城入姫(たかぎいりひめ)を神格化)は、兄の火酢芹命(ほすせりのみこと;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を神格化)を生んで、木花開耶姫(このはなさくやひめ;妹の仲姫(なかひめ)を神格化)が弟の火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)を生んだ。
大山守皇子(おおやまもりのみこ)と仁徳(にんとく)天皇は異母兄弟で、どちらが兄か弟か分からず、大山守皇子(おおやまもりのみこ)が皇位継承権争いで戦死した。
大山守皇子(おおやまもりのみこ)の反乱は、日本神話でも最も神話化した史実が分かりやすいと僕は考えて、日本神話の女神の活躍をここまでで終了する。

倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)は、伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕(つか)える未婚の皇女)で、最高神で男性の古代太陽神である天照神(あまてるかみ)の巫女(みこ)だが、倭姫命(やまとひめのみこと)の曾祖父の彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化したか不明で、誰も神格化していない太陽神の巫女(みこ)の可能性が高いと考えられる。
最高神で太陽神の天照神(あまてるかみ)の巫女(みこ)である倭姫命(やまとひめのみこと)は、邪馬台国(やまとこく;大和国)の神託の発言力が大きくて、国政を左右するほどで、西暦251年(天皇のいない年)の皇位継承権争いで、日本武(やまとたけ)天皇が皇位継承権を得るに当たって、優位に立てる発言力を持っていたと考えられる。
倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)は、生誕年月日も伊勢神宮の斎王になった年月日も伊勢神宮の最終遷宮の年月日も分かって、没年月まで分かって、亡くなった日付が不明だが、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争が完全にチェックメイトで、太陽神の天照神(あまてらすおおみかみ)に神格化した。

神功(じんぐう)皇后(台与(とよ)は、夫の仲哀(ちゅうあい)が崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)した後に国政を握(にぎ)って、甥(おい)の鹿坂皇子(かごさかのみこ)と忍熊皇子(おしくまのみこ)の兄弟の皇位継承権争いを討伐して、摂政(せっしょう;天皇に代わって政治する役職)になって、女帝に近い権限を持つが女帝でない。
鹿は「鹿」の漢字の下に弭で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
神功(じんぐう)皇后は、天岩戸隠(あまのいわとかく)れ以後の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ)に神格化して、日本神話の重要な位置を占(し)める。
神功(じんぐう)皇后(台与(とよ)は、生誕年が求められて、摂政(せっしょう)になった年月日も亡くなった年月日も分かって、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争が完全にチェックメイトである。

飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)は、倭(わ)の五王の世子(せいし)「興(こう)」が顕宗(けんそう)天皇と考えられて、次に同母兄の仁賢(にんけん)天皇が即位して、同母姉妹の飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)が顕宗(けんそう)天皇の即位前に国政執行して、忍海飯豊青尊(おしぬみめいいとよのあおのみこと)の名前が国政執行した根拠で、西暦450年頃の人物と考えられる。
顕宗(けんそう)天皇が即位する前に飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)は、倭(わ)の五王の倭王(わおう)「済(せい)」が清寧(せいねい)天皇と考えられて、顕宗(けんそう)天皇を皇太子にする前、飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)を摂政(せっしょう;天皇に代わって政治する役職)に近い立場に任命したが、どういう役職か不明である。
飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)は、倭(わ)の五王の倭王(わおう)「済(せい)」と世子(せいし)「興(こう)」の間に挟(はさ)まれて、西暦450年頃に国政執行した女性皇族と考えられる。
日本神話と古代天皇家の正史(確実に正しい歴史)を世界でただ一人求められる僕は、これだけの内容を求めることが朝飯前で、現在の皇室も宮内庁も現代人(僕以外の人間)も形無しの実力で、僕が神の如(ごと)きカリスマ性と実力を持って、古代天皇家の歴史でも高いカリスマ性と実力を持つ女性皇族が何人もいた。

神様も人物も女性中心は、古代天皇家の歴史と現在の皇室の状況がそれを強めて、女性天皇や女系天皇や女性宮家などの皇室の問題が大きく取り上げられて、世界中が注目するのが僕の登場と歴史研究の公表である。
清和(せいわ)源氏の子孫の僕と古代天皇家の子孫の皇室は、血筋がつながるか分からなくても、先祖の絆(きずな)や縁(えにし)でつながって、互いに支え合って補い合う関係である。
日本神話の神々も邪馬台国(やまとこく;大和国)論争も倭(わ)の五王も女性皇族の力は強くて、その活躍が現代日本の原動力にもつながるはずである。
今の日本は、女性差別や蔑視(べっし)がされて、自民党の女性天皇・女系天皇や女性宮家の否定にも、心の底で女性に対する偏見があるはずで、歴代首相にも絶対にないと言えない。
いつの世も女性は、男性より劣(おと)ると考えられて虐(しいた)げられたが、国際社会の今なら見直すべき美点である。

僕の歴史研究を公表して女性の活躍が復権した今は、日本神話と邪馬台国(やまとこく;大和国)論争と倭(わ)の五王の事実・真実・史実を知って、全(すべ)てを変えて世界中に知らしめる時が来た。
世界も日本も男女は共に支え合って、男女差別のない平和な時代が来ることを願って僕が努力したい。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全三巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古事記(上)(中)―全三巻―』 次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
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