女王国


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

『後漢書』と『魏志倭人伝』は邪馬台国と女王国を記しているが、多くの学者らが『魏志倭人伝』の一節から同一国としていて馬鹿らしいが、アインシュタイン博士以上の天才である僕からすると簡単にひもとける。
邪馬台国時代は古代天皇家の大和朝廷時代で、天皇がいて卑弥呼が女王でなく一皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)で、台与が女王でなく限りなく女帝に近い摂政(せっしょう)の神功(じんぐう)皇后で、卑弥呼と台与という女王の幻想を夢見ていたのである。
邪馬台国(大和)で天皇と台与の神功皇后が政治をしている時、女王国(伊勢)で卑弥呼の倭姫命が太陽神を祭っていた。
女王国に関する記述を少し見ていこうと思う。

『後漢書』に「自女王国東度海、千余里至拘奴国雖、皆倭種而不属女王」と記されて、『魏志倭人伝』に共通する記述がなく、『後漢書』独自の記述で九州説の否定材料だが、多くの人間が意味さえ理解していない。
「女王国(伊勢)から西に海を渡って、数千里余りで拘奴国(くぬこく;熊襲(くまそ)のこと)に至り、皆日本の民族でも天皇に従属しない」と訳せて、海を渡ることから邪馬台国と陸続きでない根拠になる。
熊襲は後漢王朝が滅亡する西暦220年までに遣使して伝えたと考えられる。

『魏志倭人伝』に「南至邪馬壱国、女王之所都、水行十日、陸行一月…自女王国以北…次有斯馬国」と記されて、邪馬台国と女王国を同一国とする根拠だが、僕は『日本書紀』を完全解釈する力があり、邪馬壱国(大和国)と女王国(伊勢国)と斯馬国(志摩国)が順に並んで記すことを根拠にして、同一国でないことを簡単に証明できる。
「投馬国(とうまこく;土佐)から南に行って海路10日と陸路10日で邪馬台国(大和国)に至って、さらに陸路20日で女王と勘違いされる卑弥呼の倭姫命(やまとひめのみこと)の都とする所にたどり着く…女王国(伊勢国)の北は…次に有る斯馬国(志摩国)」と訳せる。
邪馬台国(大和国)は王都が景行(けいこう)天皇の皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)で、纏向(まきむく)遺跡に当たるのが僕の自論で、これを根本的に引っくり返せる人間など存在しない。
『魏志倭人伝』は確かに邪馬壱国(大和国)と女王国(伊勢国)と斯馬国(志摩国)を順番に記して、大和(奈良県)と伊勢(三重県中部)と志摩(三重県東部)が隣同士で混乱して、しっかり訳せる書物が僕の最初の著書だけで、他の『魏志倭人伝』の訳本など無意味・無価値である。

『魏志倭人伝』に「自郡至女王国、万二千余里」と記されて、邪馬台国論争の畿内説でも九州説でも色々と解釈されて、「思い込みの数だけ解釈がある」という良い例で、僕なら正しくひもとける。
「帯方郡(たいほうぐん)から女王国(伊勢)に至るまで1万2千里余り」と訳せて、帯方郡から不弥国(ふみこく;福岡県築上郡築上町北部)まで1万7百里余りで、大阪湾岸から女王国まで残り1千3百里と解釈できる。
女王国の記述がまだあるがこれで終えて、邪馬台国(大和)と女王国(伊勢)は隣り合っていて、それを同一国とすることで余計な解釈が生まれて混乱を助長させて、現代日本人レベルの頭脳がどうあがいても求められない壁があることを知るべきである。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『この一冊で「哲学」がわかる!』
白取春彦・著者 株式会社三笠書房・発行
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