常識・固定観念・先入観・理屈・伝統


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

超頭脳の天才の僕と凡人

常識・固定観念・先入観・理屈・伝統は凡人が捕らわれやすいもので、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチと20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士と僕だと非常識に捕らわれて、凡人と圧倒的な天才の僕らだと全く正反対の考え方である。
ただしアインシュタイン博士以上の天才の僕も、いまだに常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれると自覚することが幾らでもある。
ダ・ヴィンチとアインシュタイン博士と僕の3人は、哲学者カントの定義付けたコペルニクス的転回(気常識な考え方の集合体)が本来の考え方と根本的に違う考え方で、僕の定義付けた常識から「きっかけ」を見つけて非常識にして、その非常識が世の中に受け入れられて常識になる考え方のコペルニクス的転回を再定義して、僕が知る限りこれを何度でも使える超天才である。
僕ら3人だけが僕の知る限りで、僕の定義付けたコペルニクス的転回を何度でも使える天才で、コペルニクス的転回が常識よりはるかに高度な考え方で、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統が非常識の前に足元にも及ばない。
非常識な考え方は常識的な考え方の数倍どころか数万倍以上の能力を秘めていて、僕ら3人だけが凡人を数十年から数千年レベルで上回る超頭脳だからで、この感覚を凡人が簡単に理解できるはずもないだろう。
とにかくこの現実を受け入れて、凡人が変わっていかなければ何も変わらず、世の中には現実離れした僕らのような超頭脳の天才がいることを自覚しないといけない。

常識と非常識な考え方

常識は普通の人が共通に持っている知識や理解力や判断力で、非常識がそれに反するものとされるが、常識と非常識が共に間違うことがある。
固定観念はある物事に対して持った固まった考え方や意識で、先入観が実際に見聞きする前に頭の中に出来上がった思い込みやイメージで、理屈が筋道の通った考えや論理で、伝統が昔から価値あるものとして受け継がれてきた習(なら)わしや精神で、これらも常識と同様に間違うことがあるが、簡単に理解できれば苦労しない。
常識・固定観念・先入観・理屈・伝統は凡人が捕らわれやすいもので、常識と正反対の考え方の非常識がコペルニクス的転回の持ち主の僕が得意とするものである。

ハインリヒ・シュリーマンはトロヤ遺跡を発掘したとされて、世界中の考古学者や人々や本などで常識とされるが、それが根本的に間違っている非常識だとしたらどうか?
詩人ホメロスの叙事詩『イリアス』に描かれるトロヤ戦争がギリシア神話で、トロヤ戦争がギリシアの女神ヘラとアテナとアフロディーテの言い争いに人間を巻き込んだ戦争である。
つまりギリシアの神々(オリンポス12神など)の存在を証明しない限り史実でなく、トロヤ遺跡が記述によく似たモデル遺跡で架空の物語の可能性が高い。
トロヤ遺跡は常識と勘違いした非常識で、シュリーマンの勘違いに世界中の人々も巻き込まれている。
歴史認識が根本的に間違ってはならず、世界中の考古学者があまりにも致命的な間違いをしている。
世界中の人々がトロヤ神話を事実で常識だと思い込むが、本当の事実はトロヤ神話が史実でなく非常識な勘違いである。

邪馬台国(やまとこく;大和国)論争の定説である北九州4ヶ国(北九州の属国)の定説は、江戸時代の学者の新井白石が求めた間違いで、それを考古学界が継承して定説とした誤解で、メディアも巻き込んで勘違いさせて、それぞれの地域に博物館まで建てる始末で、国民に常識として教えるが、全てまぎれもない間違いで小学生以下の間違いである。
なぜなら『三国志・魏志倭人伝』の記述にある方角と4ヶ国の所在地の方角が全く違って、考古学的証拠を根拠に強力に押し進めた結果の大きな間違いで、この程度なら小学生でも賢い子なら間違いと求められる。
僕の著書『古代日本史への挑戦』に本当の北九州4ヶ国が記してあって、アインシュタイン博士以上の天才の僕と現代の考古学者の頭脳差が数百年から数千年レベルの真実・事実の違いである。
しかし現代日本の考古学者もトロヤ遺跡を勘違いした世界中の考古学者と大差なく、その程度の歴史認識しか持ち合わないのだが、僕が幾ら指摘しても信じなくてほとほと困る。
本当の馬鹿はアインシュタイン博士以上の天才の僕でなく、現代日本人レベルの認識力しかない低能な専門家である。

僕は昔に狭穂彦王(さほひこのみこ)の息子である野見宿禰(のみのすくね)の娘が欝色謎命(うつしこめのみこと)と考えたり、考古学的に最古の特殊器台埴輪(はにわ)が前方後円墳の箸墓(はしはか)古墳から出土して、箸墓古墳以前の前方後円墳の纏向(まきむく)石塚古墳から特殊器台埴輪が出土するはずなどと考えたりしたが、これらも僕の捕らわれた常識・固定観念・先入観・理屈・伝統である。
今ならば狭穂彦王の娘が欝色謎命で、纏向石塚古墳から出土した最古の土師器(はじき)が最古の埴輪と証明できるが、根本的に凡人の意識と超天才の僕の意識が違いすぎて勘違いに気付かない。
凡人の意識は自分たちの間違いが常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれたことに気付かず、僕も常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれて間違いを改めてきたと考えられる。
つまり人間の間違いは、全て常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれて起こって、意識するかしないかで常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれて間違ったことに気付かないと考えられる。
僕の証明した現代哲学理論「現象学」は、人間の考え方の全てに正しいもいのと間違いがあって、そもそも常識・固定観念・先入観・理屈・伝統などの考え方以前に、人間の考えること全てに意識を向けると正しいか間違いか判断できない結論になるはずである。

日本人は「水に流す」ことを美徳とするが、決して流してならないものがあって、それが命・魂・精神・戦争・平和などの考え方で、現代日本人が日本国政府の教える歴史認識を理解して、本当に正しくあるべき姿の歴史の真相を知らなすぎる事実がある。
堤岩里事件を始めとする7千人以上の朝鮮人の虐殺、関東大震災後の朝鮮人何千人もの虐殺、侵略戦争、南京虐殺、731部隊、従軍慰安婦、帝国・軍事主義の流布、中国本土の化学兵器の不法投棄など非人道的行為の数々が全くのでっち上げの架空の推論とでも言うつもりか?
このようなことをした日本国が全ての罪を償わずに、世界各国のリーダーシップを取って外国には全てを水に流せと言うのだとしたら最低な国である。
恨(うら)み辛(つら)みを忘れて水に流すことが立派なことだと、どこをどう捕らえればそんなことが言えるのか?
しょせん現在の日本国の政治家や国民たちが正しい歴史認識を持たず、何を知ろうとも語ろうともせず、のうのうと存在し続けているだけでないのか?
多くの非人道的行為を教えない非常識として受け入れられてから戦後75年が長すぎて、今こそ真実・事実を教える常識として受け入れて日本人の変わる時で、僕が古代日本史の史実・真実・事実を求めた今こそ、歴史に携(たずさ)わる者として現代日本を正しい方向に導きたいと考えている。
いつの日か非人道的行為を非常識から常識に改めて、日本人が変わる時が来るのか?

常識と非常識な考え方の区別を歴史認識に持ち込むべきでないが、世界中と日本の考古学も日本国政府も間違いを持ち込んで、あまりにも致命的な間違いを教える。
現代の人類や日本人は間違った歴史認識を持っていて、歴史を教え学ぶのに致命的な欠点になり、それを確実に正していく認識力が必要だと考えられる。
現代の人類や日本人と決定的に違う非常識な考え方の僕でも、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統の間違いを認識すると考えられて、僕の常識などから間違いを排除するコペルニクス的転回「自己認識の再構築」のような方法を生み出すべきだろう。
いくら天才の僕でも都合よく「自己認識の再構築」のような考え方を分析できるものでもなく、自力で努力して体得していくべきである。

僕の3冊目の本と常識・固定観念・先入観・理屈・伝統

僕のこの本を理解するには、凡人が捕らわれやすい常識・固定観念・先入観・理屈・伝統を排除する必要があって、僕のように非常識な考え方を体得しろと無茶を言わないが、常識的な考え方をできるだけ捨てて読んでほしい。
常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれやすい考古学者は、先進的な考古学者と違って保守的や否定的になって、正しい見解に大いなる疑問を抱いて誤認させるが、その程度の認識力をはるかに超越したアインシュタイン博士以上の天才の僕だと正解を導き出している。

いくら保守的や否定的な考古学者でも出雲王国の存在を無視できず、弥生時代後期に発展した出雲が3世紀中頃に衰退して、現代の考古学者の頭脳レベルでひもとけなくて当たり前である。
纏向(まきむく)石塚古墳から出土した孤文円板に刻まれる孤帯紋様は、楯築(たてつき)遺跡の神石(亀石)の孤帯紋様から直接続かないと考えられて、保守的や否定的な考古学者もその意見に賛同する。
最古の前方後円墳の纏向石塚古墳は、年輪年代法で最外年輪が西暦177年と求められて、2世紀末の築造年代を推定することも可能だが、保守的や否定的な考古学者が3世紀前半から中頃の意見が主流らしい。
纏向遺跡から特殊器台埴輪(はにわ)や3世紀中頃から後半の伊勢神宮正殿の「神明造り」と出雲大社正殿の「大社造り」の中間の建築形式である建物跡、福岡県と愛媛県と徳島県と香川県と鹿児島県と静岡県と神奈川県と石川県と富山県と岡山県と鳥取県と島根県と山口県の土器が出土するのは、保守的や否定的な考古学者でも明らかに首をかしげる。
福島県河沼郡会津坂下町の杵ヶ森(きねがもり)古墳と千葉県市原市の神門(ごうど)3号墳と4号墳と5号墳と長野県中野市の高遠山(たかとおやま)古墳は、全て3世紀後半が築造年代と考えられる前方後円墳で、東日本最古の前方後円墳に当たるものだが、保守的や否定的な考古学者ならばもう少し後世だと考える。

しかし『日本書紀』を完全解釈して、古史古伝(「記紀」に反する書物)『ホツマツタエ』もある程度でも完全解釈した僕は、この程度の考古学的証拠など歴史書解釈で求められて、現代日本人をはるかに凌駕(りょうが)する超頭脳で簡単すぎる。
常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれると見えないものが多くなって、考古学者とそれを根本的に排除する方法を持つ僕では、地球と宇宙か無と無限大ほどの圧倒的なレベルの大差がある。
常識・固定観念・先入観・理屈・伝統などにこだわると、あまりに無知で大馬鹿な痴態をさらす可能性が高い警告である。

根本的に疑うことを知らない現代日本人

『ホツマツタエ』や「記紀」などの編者の偽装工作があって、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれると見えないのに気付かないのが現代日本人である。
『日本書紀』の歴代天皇全員の即位年に干支(えと)が使われて、僕が即位年干支法と名付けた方法は、60年間を足し算や引き算して在位期間を百年以上にごまかしたりしても、常識に捕らわれる現代日本人ならばそんな単純な方法にも気付かない。
系図の祖先化・子孫化・神格化は、『ホツマツタエ』や「記紀」などの歴史書で当たり前に行われるが、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統などに捕らわれて、根本的に疑わない現代日本人に気付けるわけもない。
『ホツマツタエ』や「記紀」などの歴史書で時代・内容の改変・変更は、計算高い編者がだますことを前提で作り上げた偽装工作で、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれる現代日本人に打ち破れるはずもない。
古代から続く各氏族の系図はどこにも間違いがない思い込みがあって、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれる現代日本人が根本的に疑うならだまされないが、根本的に間違いだらけと気付かない。
『三国志・魏志倭人伝』で卑弥呼の死後に墓の記述があること、『日本書紀』に箸墓(はしはか)古墳が皇女の墓と記しことを真(ま)に受けて、固定観念・先入観に捕らわれる現代日本人は箸墓古墳の埋葬者が女性と思い込まされて、景行(けいこう)天皇陵だと根本的に疑っていないから僕のように求められない。

現代哲学者エドムント・フッサールは「現象学」において、当たり前だと思うことを疑う考え方をして、当たり前が常識を指すことに気付くのが大切である。
しかし常識が非常識にそして再び常識に変わるコペルニクス的転回があることも重要である。
現代哲学理論「現象学」をよく学んでよく研究することは歴史研究に必須で、そうでないと『ホツマツタエ』や「記紀」などの編者にだまされ続けて、史実・真実・事実に行き当たることなどない。
いくら僕がひもといたからと言っても、僕に負(お)んぶで抱(だ)っこされるようでは何の発展も見込めず、自分たちでも必死に努力することを覚えるべきである。
僕亡き後に古代日本史研究を導いて行くのは、現代日本人や新しく生まれてくる世代の人間たちで、そんな未来の子供たちに僕が託す希望の光である。

世界中の考古学者の勘違い

世界中の考古学者は勘違いして、凡人が捕らわれやすい常識・固定観念・先入観・理屈・伝統を排除する必要があって、そうでないとトロヤ遺跡のような勘違いや超古代文明の遺産であるギザの三大ピラミッドのような勘違いを引き起こす。
トロヤ遺跡は常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれる考古学者がギリシア神話を史実と勘違いして、ギリシア神話の神々(オリンポス12神など)の実在を証明できないくせに本当のトロヤ遺跡と勘違いした茶番劇である。
超古代文明の遺産であるギザの三大ピラミッドは、ピラミッドを作るレベルが階段ピラミッドのような最低水準から、一気にマグニチュード7や8に耐えるギザの三大ピラミッドの最高点に至って、後世になって最高点の技術がやけに低くなってピラミッドの崩壊をまねいて、ギザの三大ピラミッドなどを時代の頭脳レベルが及ばない超古代文明の遺産と認められていない。
世界中には時代の頭脳レベルが及ばないオーパーツが存在する時、超古代文明が存在するのを証明できるのが常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれない人間である。

日本でも考古学会や歴史学会は常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれて、漢字以前の時代の古代文字とされる神代(しんだい)文字で書かれた古史古伝『ホツマツタエ』を認めず、アインシュタイン博士以上の超天才の僕が『ホツマツタエ』16章までの日本神話を完全解釈した。
僕は古史古伝『但馬国司文書』も第一級の歴史書と証明して、否定する愚かな学者たちと世界の学者も何も変わらない。
しょせん現代人レベルの頭脳の人間など、アインシュタイン博士以上の超天才の僕に着いてこられるわけもなく、認識力や様々な能力で僕が超天才的すぎるという点がきわだって、比べるべくもないレベルの超天才が出現した事実がある。

皇室と常識・固定観念・先入観・理屈・伝統

上皇の生前退位と今上(きんじょう)天皇の即位と令和の改元など皇室の慶事が続く一方で、男系男子天皇や女性天皇や女系天皇や女性宮家や皇室典範改正などの諸問題も挙げられて、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統が関わることに気付いているか疑問である。
中世ヨーロッパで聖書が常識の時代は、天動説と神様が生物を作ったのが常識で、現代が地動説と進化論が常識に変わった。
固定観念・先入観は、ユダヤ人が白人と思い込んだり、縄文人と弥生人の違いに誤解を持ち込んだり、固定観念・先入観の中に常識も見え隠れする。
理屈や伝統もこれらと同じで、色々な具体例を示せる。
皇室は古代から男性天皇が多くて、近代から現代までも男性ばかりのイメージで、知らず知らずのうちに常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれている。
皇室の男系男子天皇の不足で、女性天皇や女系天皇や女性宮家の問題が取り上げられて、男系男子天皇が伝統と言うが、常識・固定観念・先入観・理屈も含むことに気付かない。
皇室の法律の皇室典範は、昭和天皇に終身天皇制を死ぬまで貫かせて何度も嘔吐(おうと)や吐血を繰り返されて、それを直(じか)に見た上皇が悲劇を繰り返さないために生前退位された。
GHQが定めた日本国憲法で制限される天皇は、天皇である前に一人の人間でそれを制限する意味があるのか?
昭和天皇の生き様を初めて知った去年5月14日の僕は、皇室と常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に疑問を持った。

皇祖神(皇室の祖先神)の天照大神(あまてらすおおみかみ)は女性で、その正体が女王と勘違いされる卑弥呼と台与(とよ)で、伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に使える未婚の皇女)の倭姫命(やまとひめのみこと)と摂政の神功(じんぐう)皇后の神格化を僕が証明して、邪馬台国時代に女性皇族の活躍を再現した。
また倭の五王の世子「興」は顕宗(けんそう)天皇と考えられて、同母姉妹の飯豊青皇女(いいとよのあおのひめみこ)が顕宗天皇即位前に国政執行して、西暦450年頃の人物と考えられることも証明した。
女性皇族の政治介入は、邪馬台国時代から倭の五王時代だけでなく、「記紀」以外の歴史書でも皇族でない女性の活躍が記されて、日本神話も女神の活躍が著(いちじる)しい。
僕は常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれていても、新しいイメージを作り出してそれを塗り替えて、新しい常識・固定観念・先入観・理屈・伝統を作り出す。
しょせん常識・固定観念・先入観・理屈・伝統は、過去の人間が作り出した遺物にすぎなくて、時代の変化とともに変わって行くものである。
皇室典範改正などの諸問題は、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統と同じように時代と共に変化する。
変化することを恐れる馬鹿は、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統にしがみついて変わらず、情(なさ)けない人間にだけはなりたくない。
僕のような先進的な考え方の人は、皇室を深く考えられる僕に賛同してくれることを願う。

常識・固定観念・先入観・理屈・伝統は壊せる

僕は常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれていても、新しいイメージを作り出してそれを塗り替えて、自分の頭の中で新しい常識・固定観念・先入観・理屈・伝統を作り出す。
これと同じで世界中で古い常識・固定観念・先入観・理屈・伝統は壊されて、個人的でも社会的でも新しい常識・固定観念・先入観・理屈・伝統を作り出して、新しい考え方を作ったのが歴史の流れである。
常識・固定観念・先入観・理屈・伝統は、過去の人間の作った亡霊のようなもので、新しい時代の人々が塗り替えるものである。
しかし現代人は、頭の中のイメージや言葉のマジックなどに捕らわれて、それを壊すことを恐れて何もできないようになる。
人間の本能的な考え方は常識・固定観念・先入観・理屈・伝統ならば、現代哲学理論「現象学」の本質が人間の考え方の全てを疑って、考え方に本人も他人も一緒になる考え方があるともないとも考えられる。
人間の考え方の本質は、まさに矛盾だらけでそこから正解を導き出すもので、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統も本質が同じと考えられて、人間の全ての思考がつながる考え方が現代哲学理論「現象学」の本質である。

<参考文献>
『三輪山の考古学』
株式会社学生社・発行
『邪馬台国の考古学』
石野博信・著者 株式会社吉川弘文館・発行
『出雲大社の暗号』
関裕二・著者 株式会社講談社・発行
『この一冊で「哲学」がわかる!』
白取春彦・著者 株式会社三笠書房・発行
『女系皇位継承は日本の伝統』
松本陽一・著者 株式会社新風書房・発行
インターネット

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