ついに「常識破り」で勝つ

常識的な線では、すでに私の出る幕はなかった
中村修二博士は世界中の学者や研究者が使う常識的なセレン化亜鉛でなく、窒化ガリウムを使って青色発光ダイオードができるという考えがあったという。

『後漢書』に邪馬台国と記されて、『三国志・魏志倭人伝』に邪馬壱国と記されている時、邪馬台国が畿内説の大和(奈良県)か九州説の福岡県山門郡(やまとぐん)で、邪馬壱国なら山井(やまい)という呼び名の地名などが考えられて、邪馬台国論争には常識的な考え方で埋め尽くされているような錯覚があった。
しかし考古学界の定説を信じて常識とされた北九州4ヶ国は、佐賀県松浦半島から福岡県粕屋郡宇美町までだと信じ込まされた間違いで、正しく求めると福岡県福津市西部から福岡県築上郡築上町北部までで、『魏志倭人伝』の方角を正しく認識すれば簡単に求められた。
『魏志倭人伝』の記述に「投馬国…邪馬壱国、女王之所都、水行十日、陸行一月」と記されており、『後漢書』と『魏志倭人伝』に邪馬台国と女王国が記されることから別の国とすべきで、投馬国(土佐;高知県)から海路10日で大阪湾岸に着き、陸路10日で邪馬台国の王都である纏向(まきむく)遺跡(景行(けいこう)天皇の皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)に当たる)に到着して、さらに陸路20日で女王国(伊勢国;三重県中部)に到着すると解釈できる。
邪馬台国論争は考古学と歴史学が研究し尽くした感じがあったが、実際に求めてみると穴だらけで僕の求めた自論こそが正解だった。

古代日本史研究は全くのシロウト認識であり、アインシュタイン博士以上の天才である僕が正さない限り永久に闇の中だった。
常識的な考え方に自分自身の出る幕がないか求めて、アインシュタイン博士や僕のように革命的な考え方を生み出す時もあり、それを見極められる感性を持つことが大切である。

一見鈍くさいやり方を軽視するな
中村修二博士は青色発光ダイオードの開発に当たって他人の論文や参考文献を一切読まず、多くの研究者がまず過去のデータや参考文献を調べて他人の成功や失敗の実例を参考にして進行もスムーズにいく場合が多いのだが、ここに目に見えない落とし穴があってどこかで他人のやり方をまねてしまうのだという。

僕は古代日本史研究を始めた時、信じたのが自分自身の感覚だけで参考文献から資料を引っ張り出しても他人のやり方をまねず、一から自分自身で進行していく方法を取って、我流や自己流のやり方を探し出して徹底的に自己分析し続けて、圧倒的な一大理論へと昇華したのである。
『古事記』に三輪山(みわやま)の大物主神(おおものぬしのかみ)が三島湟咋(みしまみぞくい)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)の女陰を丹塗矢(にぬりや)に化けて突いて、元の姿に戻って交わって神武(じんむ)天皇の皇后をもうけたと記されている。
『山城国風土記』に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の娘の玉依日売(たまよりひめ)が小川で川遊びしていると丹塗矢が流れてきて、その丹塗矢を彼女の家に持ち帰ると賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)を身ごもり、その父親が火雷神(ほのいかずいちのかみ)であると記されている。
『古事記』と『山城国風土記』のよく似た話は共通性があり、神格化の共通性があるのでないかと考えた。
だが『ホツマツタエ』の序文にニニキネをワケイカズチと讃(たた)えたと記されて、天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)を賀茂別雷神と讃えたということで、僕の最初の考えが間違っていたことになる。
『ホツマツタエ』の序文を独自解釈した僕は、僕の最初の著書『古代日本史への挑戦』のその部分を訂正しておき、自分の考え方が必ずしも正しいと限らないことを思い知らされた。

僕は自己流で進めてきた結果として、色々な歴史書を対比して結論を下せるようになったもので、遠回りのやり方で鈍くさいと思われてもこのやり方しか知らず、僕に一番に合っているやり方なのが間違いない。
一見鈍くさいやり方を軽視するのは、我流や自己流のやり方を探し出せない人間がやることで、自分自身にもっとも合ったやり方を試行錯誤するのが大切である。

どん底からの「ひらめき」がブレークスルーに
中村修二博士は自分自身をどん底に突き落として考えて、どんどん自分を追い込んで他のことが眼中に入らなくなって、いつか決定的なアイデアが思い浮かぶと信じているとブレークスルー(それまで障壁となっていた事象の突破を意味する単語)するという。

僕は古代日本史研究を始めた22歳の誕生日頃にコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を発揮して、約半年後に邪馬台国論争の定説の北九州4ヶ国が確実な間違いだと簡単に気が付き、それを打破するための理論付けに奔走したがそう簡単にいかなかった。
定説の北九州4ヶ国を否定するのは簡単だが、正しい北九州4ヶ国を求めるために新しい考え方が必要だと気付いて、一日か数日間でそれまでのコペルニクス的転回に改良を加えて、新しいコペルニクス的転回「自己認識の再構築」を開発したのである。
コペルニクス的転回「自己認識の再構築」は、常識の中から正しいものと間違ったものを見つけ出して、間違ったものを排除していくコペルニクス的転回であり、僕が他人に教えられる唯一のコペルニクス的転回でもある。
僕が「自己認識の再構築」を体得した時は、とことん考え方を突きつめて一日か数日間をついやしたもので、どん底からの「ひらめき」の突破口だったと言っても良いかもしれない。
どん底からの「ひらめき」でブレイクスルーするというのは、自分自身の考え方をとことん追いつめて行きづまった時にできる「ひらめき」で、追い込まれた時にこそすぐれた考え方ができる時があるのである。

ついに常識の壁、不可能の壁を破る
中村修二博士は世界中の学者や研究者が使う常識的なセレン化亜鉛でなく、窒化ガリウムを使って20世紀に開発不可能と言われた青色発光ダイオードを完成させたという。

邪馬台国論争は考古学と歴史学の常識に捕らわれれば正しい可能性など一切見えず、根本的に非常識的な考え方のコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を持つ僕だから打ち破れたのである。
日本神話は古代天皇家の何かを神話化したという考え方がよくされるが、根本的に常識的な考え方しかできない人間にひもとけるわけなどなく、非常識的な考え方のコペルニクス的転回を持つ僕だから完全解釈が可能だったのである。
邪馬台国時代の古代天皇家の歴史を僕がひもとけたのは普段からコペルニクス的転回を使いこなすことができるからで、これから何百年たっても古代日本史をひもとける人間が出現する可能性が低い。
それだけ普段からコペルニクス的転回を使いこなせる人間が出現する可能性が低く、僕くらいに類稀(たぐいまれ)な才能の持ち主はまさに神に選ばれた運命に導かれた奇跡の申し子なのである。
常識や不可能の壁を破るには、並大抵の努力でなせることでなく圧倒的な努力が必要であり、何も恐れない探究心や好奇心を持つことが大切だろう。

常識の中にはビッグチャンスはない
中村修二博士は一流大学を出て一流企業に入社して研究費をふんだんに使っても世界的な一流の結果が出せると言えず、世間や常識を知らない無謀なことだと言われようとも、そういう領域でないとビッグチャンスがないという。

僕は常識に捕らわれずに古代日本史研究をして、非常識的な考え方のコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を自然に体得していて使いこなしたからこそ大成功した。
コペルニクス的転回は180度の発想転換とか従来の考え方と根本的に異なる考え方などと解釈されるが、実際のところ360度異なる発想転換だと考えるべきであって、常識が一切通用しない非常識な考え方である。
僕はコペルニクス的転回をどうやれば体得できるか教えられず、自分自身がいつどうやって身に付けたかさえ分からなくて、世界中の頭脳研究の学者などにまかせるしかないと思っている。

凡人と偶然でもコペルニクス的転回を起こした人間の格差は天と地ほどあって、また偶然でもコペルニクス的転回を起こした人間と普段からコペルニクス的転回を使いこなせる人間の格差も天と地ほどあり、僕という人間が神に選ばれた運命に導かれた奇跡の申し子というのも決して誇張でも何でもない。
常識の中には絶対にビッグチャンスがないわけでないだろうが、非常識の中に圧倒的なビッグチャンスが眠っているはずである。

<参考文献>
『「バカになれる男が勝つ!」』
中村修二・編者 株式会社三笠書房・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

戻る