伝統的な物の見方をひっくり返す

現代哲学者フッサールは、伝統的な物の考え方や捕らえ方や見方が自分の周囲の世界を見て感じるのでなく、自分の意識が世界を見せて捕らえるべきで、昔からの価値観に捕らわれず、常に進化し続けて、新しい考え方を生み出す人間ほど、新しい発見や成功を約束されると言いたいのだろう。
「記紀」を読んだ過去から現代までの人々は、西暦506年以前の空白の歴史で、女王の卑弥呼(ひみこ)が古代天皇家の人物か、応神(おうじん)天皇や仁徳(にんとく)天皇が実在したかなど、そもそも根本的な疑問を説明できず、「記紀」の編者が作り出した嘘(うそ)・偽(いつわ)りの歴史しか知ることができなくて、自分が周囲の世界を見て感じて、その歴史が正しいと信じ込む。
しかし超天才の僕は、自分の意識で世界を見て、「記紀」の編者が生み出した嘘(うそ)・偽(いつわ)りの偽装工作を打ち破って、「記紀」の核心部分に触れた正しい可能性を求めて、それを根本的に正しいか間違いか疑問視して、徹底的(てっていてき)に分析・研究を繰り返して、今まで歴史研究した自分と他人の考え方も比較して、くぐり抜けた戦場の数が違いすぎて、僕が圧倒的な勝者になった。

人間の考え方は、正しいか間違いかの究極の二択が信じるか信じないか、存在するか存在しないか、戦争と平和、対立と共存など相対する物事が共通して、この図式を「伝統的な物の見方をひっくり返す」で説明して、根本的に定義付けたのが現代哲学理論「現象学」だが、そもそも「現象学」を信じない人間が存在する。
応神(おうじん)天皇や仁徳(にんとく)天皇などの実在性は、そもそも存在するか存在しないかの疑問を定義付けて、「現象学」が常識(当たり前)を根本的に疑(うたが)って、僕が常識・固定観念・先入観・理屈・伝統・拡大解釈に捕らわれず、伝統的な物の考え方や見方をやめて、自分の意識が世界を見せて、「記紀」の嘘(うそ)・偽(いつわ)りの歴史に気付いて、僕の自論を超展開し続けた。
しかし信じない人は、絶対に認めないが、信じる人が認めて、賛成も反対もあって当然で、信じるか信じないか判断する人の自由で、神様を信じる人が神様の存在を認めて、神様を信じない人が神様の存在を認めなくて、信仰心が神様を存在させて、2025年7月の予言を信じるのも、信じるか信じないで、世界中の人々の一部が僕の歴史研究の内容を信じて、目覚(めざ)める瞬間を迎(むか)えるだろう。

プトレマイオス朝を含めた計32王朝の古代エジプト文明は、象形文字の歴史学(歴史書解釈)が発展して、考古学(遺跡・遺物)の物的証拠と合致して、完全に正しい歴史の証拠を蓄積したが、現代日本が皇室を管理する宮内庁が歴代天皇陵に指定した古墳などを発掘させず、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)の乖離(かいり;違い方向に向いて離れること)を生み出した。
伝統を大切にする宮内庁は、確かに間違ってないが、時に伝統をひっくり返す出来事が起きて、根本的に全てが変わることもあって、僕の歴史研究の公表がそれで、現実問題として皇室や宮内庁や日本国民などが向き合う問題で、本当に大切な物を見るべき時がいつか、正しく理解して見逃さないことが大切である。
今までの研究者は、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)を完全に合致できないが、超天才の僕が完全に合致できる理由の正体が根本的に自分の感性で、何が正しいか間違いか考えて、全てを疑(うたが)う考え方で、伝統に縛(しば)られず、自由気ままに答えを作ったからである。

<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『この一冊で「哲学」がわかる!』
著者・白取春彦 発行・株式会社三笠書房
インターネットの不明サイトから少々拝借

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