『三国志・魏志倭人伝』の解釈3
これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『三国志・魏志倭人伝』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。
南至投馬国、水行二十日。官曰弥弥、副曰弥弥那利。可五万余戸。
南南東(北と東も加える)に海路を20日で土佐(高知県)国に至る。大官は造長(みやつこおさ)で、副官が不明。5万戸余りがある。
大官の弥弥と副官の弥弥那利は、古代中国語読みから想定して、造長と不明が統治者だと考えられて、造長がおそらく土佐の国造(くにみやつこ)だと考えられる。
投馬国は、所在地不明とされて、出雲や吉備など日本各地に比定されるが、南南東に海路を行くから東寄りの四国の高知県が当てはまって、間違いなく正しいはずである。
『国造本紀(くにみやつこほんき)』は、成務(せいむ)天皇時代に都佐国造(とさくにみやつこ)を任命したと記すが、正しく求めると、仲哀(ちゅうあい)天皇5年(西暦256年)で、もっと早くに任命した可能性も考えられる。
南至邪馬壱国(やまいちこく)。女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳革。可七万余戸。
革は「革へん」に是の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
投馬国から南南東(北と東も加える)に海路を十日と陸路十日で邪馬台国(大和国;古代天皇家)に至って、さらに陸路20日で皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)の都とする所(女王国;伊勢国)にたどり着く。官は全て不明。7万戸余りがある。
『三国志・魏志倭人伝』は、邪馬壱国(やまいちこく)と記すが、正しく求めると、邪馬台国(大和国;やまとこく)が正しくて、邪馬台国(大和国;やまとこく)の王都が纏向(まきむく)遺跡で、景行(けいこう)天皇の皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)である。
官の伊支馬と弥馬升と弥馬獲支と奴佳革は、全て不明で、邪馬台国(古代天皇家)の官人か女王国(伊勢)の神官のどちらかで、求められるわけがない。
皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)は、女王の卑弥呼(ひみこ)と勘違いされて、景行(けいこう)天皇20年(西暦210年)に倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕(つか)える未婚の皇女)を隠居して、三重県伊勢市の磯(いそ)神社で、古代太陽神のアマテルカミ(天照神)を祭る。
「南至邪馬壱国。女王之所都」の記述は、邪馬台国(大和国;やまとこく)と女王国(伊勢国)を同一国とするが、『後漢書』も『三国志・魏志倭人伝』も邪馬台国と女王国を隣国と区別できなくて、ウィキペディアが同一国として間違った。
歴史学者は、正しく解釈しないから、シロウト研究者は専門家の考え方を鵜呑(うの)みにして、アインシュタイン博士以上の天才の僕が正すしかない。
自女王国以北、其戸数道里可得略載、其余旁国遠絶、不可得詳。
自ら女王国(伊勢)の北は、その戸数と道里をほぼ把握して記述できるが、それ以上先の天皇に従わない旁国が遠く離れて断絶して、詳しく知ることができない。
三重県から見て北の福井県と岐阜県と愛知県と静岡県の辺りまでは、天皇家の統治下にあって、それより東が景行(けいこう)天皇60年(西暦250年)から仲哀(ちゅうあい)天皇3年(254年)までに統治下に入って、魏王朝滅亡の265年までに統治下に入ったことを伝えていないことが分かる。
福島県の杵ヶ森(きねがもり)古墳と千葉県の神門(ごうど)3号墳と4号墳と5号墳と長野県の高遠山(たかとおやま)古墳は、3世紀後半から4世紀前半の東日本最古の前方後円墳と考えられて、西暦250年から254年までに天皇家の統治下に入った決定的な考古学的証拠で、『三国志・魏志倭人伝』と「記紀」を僕が完全解釈して、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)の正しい解釈である。
次有斯馬国…次有華奴蘇奴国…此女王境界所盡。
次に志摩国があって…次に山城国があって…この(北九州から四国と近畿などをまとめる)天皇の国境とする所である。
文章が前後するが、「南至邪馬壱国…自女王国以北…次有斯馬国」は邪馬台国(大和)と女王国(伊勢)と斯馬国(志摩)が隣り合って並んで、これを正しく解釈できないため邪馬台国論争の混乱を生み出す。
華奴蘇奴国(かぬそぬこく)は、古代中国語読みが当然で、現代中国語発音を書くとホワヌゥースヌゥーグゥオに近く、4文字以上の国名になるのが当たり前だから、山城(やましろ)で間違いないと考えられる。
次有斯馬国…次有華奴蘇奴国というように20国が挙げられて、志摩から中部地方と近畿地方北部と南部と四国までを巡って国名を記して、僕以外に正しく解釈できる人間などいない。
『三国志・魏志倭人伝』の解釈は、「記紀」の邪馬台国時代を西暦年や歴史を正しく解釈できる超天才の僕だけが導き出せて、専門家の出番など誰も期待どころか絶望しか抱いていない。
無能で無力な専門家は、邪馬台国論争を混乱させて、新井白石の亡霊にしがみついて北九州4ヶ国の定説にすがって、他の解釈もまともにできないくせにでしゃばって、基本の基本も見逃していたのが真実である。
古代日本史は、全て僕におんぶにだっこで、アインシュタイン博士以上の天才で後継者的存在の僕に期待が大きすぎて、自殺願望と弱い心の持ち主の僕に過度の負担を与えているが、できる限り答えていこうと思う。
<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
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