火明命(ほあかりのみこと)

青字は、日本神話の原文を僕が書き直した現代日本語訳で、赤字が僕の現代日本語訳の解釈文で、黒字が僕の完全解釈した説明文などである。

火明命(ほあかりのみこと)は、天道日女命(あめのみちひめのみこと;別名が屋乎止女命(やおとめのみこと)をめとって、天香語山命(あめのかごやまのみこと)を生んだ。火明命(ほあかりのみこと)は、佐手依姫命(さでよりひめのみこと;別名が日子朗女神(ひこいらつめのかみ)をめとって、穂屋姫命(ほやひめのみこと)を生んだ。
天香語山命(あめのかごやまのみこと)は、穂屋姫命(ほやひめのみこと)をめとって、天村雲命(あめのむらくものみこと)を生んだ。
その後で天祖(あまつみおや)の二璽神宝(ふたつのみしるしのかんだから;息津鏡(おきつかがみ)と邊津鏡(へつかがみ)と天鹿兒弓(あめのかごゆみ)と天羽々矢(あめのははや)を副(そ)え賜(たま)いて、火明命(ほあかりのみこと)に授(さず)け給(たま)いて、汝宜(いましよろ)しく葦原中国(あしはらなかつくに)の丹波(たには)国に降(お)り坐(ざ)してこの神宝を斎(いつ)き奉(たてまつ)り、速(すみ)やかに国土(くに)を造り修(おさ)めよと詔(の)リ給(たま)う。
故爾(かれここ)に火明命は之(これ)を受け給いて、丹波(たには)国の凡海息津嶋(おおしあまのおきつしま;現在の冠島と考えられる)に降(お)り坐(ま)す。
爾(ここ)に火明命(ほあかりのみこと)は、其(そ)の後由良の水門(みなと)に遷(うつ)り坐しし時、即(すなわ)ちその神宝(邊津鏡;へつかがみ)を香語山命(かごやまのみこと)に分け授(さず)け給(たま)い、汝宜(いましよろ)しく此(こ)の神宝を斎(いつ)き奉(たてまつ)りて、速やかに国土を造り修(おさ)めよと詔(の)リ給(たま)う。
(省略)故爾(かれここ)に火明命(ほあかりのみこと)は、佐手依姫命(さでよりひめのみこと)と共に、養老三己未(つちのとひつじ)年(西暦719年)三月廿二日(にじゅうににち)籠宮(このみや;元伊勢籠(この)神社)に天降(あまくだ)り給う。


2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、天道日女命(あめのみちひめのみこと;息長水依比売(おきながみずよりひめ)を神格化)をめとって、天香語山命(あめのかごやまのみこと;丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)を生んだ。
2代目・火明命(ほあかりのみこと)は、佐手依姫命(さでよりひめのみこと)をめとって、穂屋姫命(ほやひめのみこと;丹波之河上之摩須郎女(たにはのかわかみのますのいらつめ)を神格化)を生んだ。
天香語山命(あめのかごやまのみこと;丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)は、穂屋姫命(ほやひめのみこと;丹波之河上之摩須郎女(たにはのかわかみのますのいらつめ)を神格化)をめとって、天村雲命(あめのむらくものみこと;朝廷別王(みかどわけのみこ)を神格化)を生んだ。
二璽神宝(ふたつのみしるしのかんだから;息津鏡(おきつかがみ)と邊津鏡(へつかがみ)は、2代目・火明命(ほあかりのみこと)に授(さず)けてその子孫の神宝とした。
(省略)故(ゆえ)に2代目・火明命(ほあかりのみこと)と佐手依姫命(さでよりひめのみこと)の夫婦神は、養老3年3月22日(西暦719年4月下旬頃)に元伊勢籠(この)神社が創建されて、共に祭った。


丹波(たんば)の天孫降臨神話は、崇神(すじん)天皇10年9月9日(西暦93年10月上旬頃)から崇神(すじん)天皇11年4月13日(西暦94年5月中旬頃)の彦坐王(ひこいますのみこ)の京都府北中部と兵庫県北部の平定神話で、海部(あまべ)氏の起源を示す証拠でもある。
2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の丹波(たんば;古代の京都府北中部)の天孫降臨神話は、饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち)の天孫降臨神話と合致して、海部(あまべ)氏と出雲王家(物部(もののべ)氏)の祖先神の合致でもあって、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)の日向(ひうが;宮崎県)の天孫降臨神話と別の神話である。
『ホツマツタエ』の2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、丹波(たには;古代の京都府北中部)に天孫降臨して、彦坐王(ひこいますのみこ)が総大将で、息子の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を従軍して、崇神(すじん)天皇11年4月13日(西暦94年5月中旬頃)に丹波(たには;古代の京都府北中部)と但馬(たじま;兵庫県北部)を平定して、神話と史実(歴史上の事実)が合致した。
古代太陽神の2代目・天火明命(あめのほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、息子を天香語山命(あめのかごやまのみこと;丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)で、孫の天村雲命(あめのむらくものみこと;朝廷別王(みかどわけのみこ)を神格化)を先祖として、海部(あまべ)氏に系図がつながる。
元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏は、彦坐王(ひこいますのみこ)と息子の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を先祖とほのめかして、日本最古の系図の『海部(あまべ)氏系図』が僕以外に正確に解明できなくて、凡人(僕以外の人間)に証明できるはずがない。

天上の神々の世界である高天原(たかまがはら;たかまのはら)は、天地開闢(かいびゃく)神話の天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと;崇神(すじん)天皇を神格化)が作って、高天原(たかまがはら;たかまのはら)の後に地上の神々の世界である葦原中国(あしはらなかつくに)ができて、葦原中国(あしはらなかつくに)の物語(ストーリー)が2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の丹波(たんば;古代の京都府北中部)の天孫降臨神話である。
地上の神々の世界である葦原中国(あしはらなかつくに)は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;皇后3人を神格化)の夫婦神の国生み神話で作られて、父親の崇神(すじん)天皇の実兄(叔父;おじ)である2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の丹波(たんば;古代の京都府北中部)の天孫降臨神話が息子の伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)の国生み神話よりも、前に成立した結論になる。
上記の考え方は、僕の主観(しゅかん)や直観(直観;ちょっかん)による物で、理論的な理由が説明可能で、絶対に成立しないと否定する方が難(むずか)しいだろう。

火明命(ほあかりのみこと)は、海部(あまべ)氏の祖先神で、『ホツマツタエ』でホノアカリと記して、初代・ホノアカリと2代目・ホノアカリがいて、別の神様として区別が必要である。
火明命(ほあかりのみこと)は、『日本書紀』に別名を一回だけ天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)と記して、『先代旧事本紀』が別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)と記して、男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)と物部(もののべ)氏の祖先神の饒速日命(にぎはやひのみこと)が合体した神名である。
古代太陽神の2代目・火明命(ほあかりのみこと)は、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家である海部(あまべ)氏の祖先神で、様々な伝承の証拠から出雲王国(物部(もののべ)氏)と同じ彦坐王(ひこいますのみこ)が始祖(しそ;始まりの先祖)の古代太陽神氏族の和珥(わに)氏である。

彦坐王(ひこいますのみこ)は、息長水依比売(おきながみずよりひめ)と結婚して、丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)が生まれて、彦坐王(ひこいますのみこ)の子か分からない丹波之河上之摩須郎女(たにはのかわかみのますのいらつめ)と丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)が結婚して、朝廷別王(みかどわけのみこ)が生まれた。
饒速日命(にぎはやひのみこと)と2代目・火明命(ほあかりのみこと)の天孫降臨神話は、あまり広く知られず、ワザと違和感を日本神話に残して、誰かが求めるように偽装細工して、無意識を自覚した僕が本能的に違和感に気付いて、系図の祖先化と子孫化をした巧妙な仕掛けである。

僕が総合した分析は、忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)を生んだ。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)と木花開耶姫(このはなのさくやひめ;仲姫(なかひめ)を神格化)は、先祖の2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と息子の火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)を生んだ。
2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、丹波(たには;古代の京都府北中部)に天孫降臨して、別名の饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)が 河内(かわち;大阪県東部)に天孫降臨した。
2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の息子は、天香語山命(あめのかごやまのみこと;丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)で、海部(あまべ)氏の祖先神で、同一神の饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の息子が宇摩志麻治命(うましまじのみこと;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)で、物部(もののべ)氏の祖先神である。

初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)は、物部(もののべ)氏の栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の長男で、物部(もののべ)氏の直系だけを火の神様に神格化して、誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)の名前に物部(もののべ)氏の人間を意味する人名の「ほ」を含んで、神格化が正しいと証明した。
初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)は、仲哀(ちゅうあい)天皇2年1月11日(西暦253年2月中旬頃)に母の神功(じんぐう)皇后が仲哀(ちゅうあい)天皇の正妻になって、仲哀(ちゅうあい)天皇9年(西暦260年)までに生まれて、神武(じんむ)東征1年(西暦329年)に登場して、それまで生きた証拠と考えられる。
初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)は、先祖に海部(あまべ)氏と物部(もののべ)氏がいて、物部(もののべ)氏の直系だけを火の神様に神格化するが、海部(あまべ)氏が物部(もののべ)氏と先祖の彦坐王(ひこいますのみこ)が共通して、2代目・天火明命(あめのほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)が海部(あまべ)氏の祖先神なのである。

神宝の息津鏡(おきつかがみ)と邊津鏡(へつかがみ)は、垂仁(すいにん)天皇37年(西暦188年)に古代中国の後漢王朝が下賜した宝物で、前漢王朝と後漢王朝の銅鏡で、日本最古の伝世鏡(でんせいきょう;埋蔵されずに神社や寺に伝わる鏡)として海部(あまべ)氏が家宝とする。
垂仁天皇37年(西暦188年)は、『ホツマツタエ』と「記紀」からはじき出した年代で、僕の解釈が間違っていないはずである。

2代目・火明命(ほあかりのみこと)の丹波(たには)の天孫降臨神話は、参考文献の『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』(編著者・海部光彦 発行・元伊勢籠神社社務所)に基(もと)づいて、古代太陽神の2代目・火明命(ほあかりのみこと)による丹波(たんば)の開拓神話である。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』
海部光彦・編著者 元伊勢籠神社社務所・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本の神様読み解き事典』
川口謙二・編著者 柏書房株式会社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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