隠された忘れ去られた神々

日本神話の隠された忘れ去られた神々は、現代日本人が「記紀」を読んで知る神々のことで、それを正しく求められるのが世界唯一の日本神話を完全解釈できる僕だけである。隠された神々とは出雲系の神々(素戔嗚尊(すさのおのみこと)と大国主神(おおくにぬしのかみ)から始まる系譜)と勘違いされた神々、古代太陽神であることを故意に隠された神々などである。
忘れ去られた神々とは、『古事記』成立時に因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話や大国主神(おおくにぬしのかみ)の根国下(ねのくにくだ)り神話などを形作る神々、全ての神話の意味・価値を忘れられた神々などである。

出雲系の神々は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と大国主神(おおくにぬしのかみ)から始まる系譜と勘違いされて、本当の答えが初代・大物主神(おおものぬしのかみ)から始まって、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ)もその子孫に当たるのが正しい。
出雲系の神々を国津神(くにつがみ)と呼ぶと勘違いされて、古代太陽神系譜の神々(丹波:たには;古代の京都府北中部)の2代目・火明命(ほあかりのみこと)の子孫なども含む)も国津神(くにつがみ)の仲間になることを気付くには、日本神話の全てを知る僕以外にあり得ない。
古代太陽神系譜の神々は、初代・大物主神(おおくにぬしのかみ)と火明命(ほあかりのみこと)などに神格化された彦坐王(ひこいますのみこ)から始まって、彦坐王(ひこいますのみこ)が古代の男性の太陽神である天照神(あまてるかみ)にも神格化したことに気付く必要がある。
天照神(あまてるかみ)と現在の女性の太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)は、卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)と台与(とよ)の神功(じんぐう)皇后を神格化したのが当然で、天照玉命(あまてるたまのみこと)神社の存在から、彦坐王(ひこいますのみこ)を天照神(あまてるかみ)に神格化したと求めなければ話にならない。
彦坐王(ひこいますのみこ)は、初代の崇神(すじん)天皇の実兄で、古代太陽神の天照神(あまてるかみ)を祭った初代宮司で、彦坐王(ひこいますのみこ)の直系子孫が大物主神(おおものぬしのかみ)と大国主神(おおくにぬしのかみ)を祭る千家(せんげ)氏と2代目・火明命(ほあかりのみこと)を祭る海部(あまべ)氏で、直系先祖から直系子孫まで70世代近く先祖代々ずっと祭り続けた。
彦坐王(ひこいますのみこ)の孫娘の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を祖母とする日本武尊(やまとたけのみこと;素戔嗚尊(すさのおのみこと)に神格化)と初代出雲国王の彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫で、7代目出雲国王の飯入根(いいいりね;2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ)に神格化)が正しい系図で、出雲系の神々が彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫の物部(もののべ)氏を指すのが分からないのが現代人(僕以外の人間)である。
彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫の海部(あまべ)氏から珍彦(うづひこ;椎根津彦(しいねづひこ)とも言う)は登場して、『ホツマツタエ』で珍彦(うづひこ)が国津神(くにつがみ)と名乗って、国津神(くにつがみ)が彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫の物部(もののべ)氏と海部(あまべ)氏などを指す。

天照神(あまてるかみ)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)と同じく「天照(あまてる、あまてらす)」を冠する名前から古代太陽神と想像しやすく、大物主神(おおものぬしのかみ)と倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)が天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一神とする考え方から古代太陽神と想像しやすく、天照神(あまてるかみ)と大物主神(おおものぬしのかみ)と倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)が古代太陽神なのが間違いない。
海部氏の祖先神の2代目・火明命(ほあかりのみこと)と物部(もののべ)氏の祖先神の饒速日命(にぎはやひのみこと)は、共に彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化して古代太陽神に当たる。出石(いずし)神社に祭られる天日槍(あめのひぼこ)は、太陽を連想させて古代太陽神を連想しやすいが、彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化したと気付いたのが僕だけで、古代太陽神で間違いない。
滝祭神(たきまつりのかみ)は、伊勢神宮内宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)の流れを神格化した蛇神で、これを怪物視したのが素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)に斬殺された邪神の八岐大蛇(やまたのおろち)で、八岐大蛇(やまたのおろち)も古代太陽神だから聖なる神様でも、現代人(僕以外の人間)に分かるわけもない。
このように日本神話を完全解釈した超天才の僕からすれば、この程度のことを求めるなど造作もない。

因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話と(おおくにぬしのかみ)の根国下(ねのくにくだ)り神話は、『古事記』に記す日本神話で、『ホツマツタエ』に記されず、『古事記』の編者が独自に作った神話で、『ホツマツタエ』が成立した4世紀以降で、『古事記』成立の西暦712年が偽りとする偽書説が生まれて、『古事記』の独自の神話を後世に日本神話の意味・価値が忘れ去られて誤解を生んだ。
因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話は、八十神(やそがみ;大国主神(おおくにぬしのかみ)の兄弟でなく、白兎(しろうさぎ)の兄弟)の手から大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)の助けで救われた白兎(日本武(やまとたけ)天皇を神格化)がサメ(日本武(やまとたけ)天皇の兄弟や有力豪族の武将を神格化)に襲われて、大国主神(おおくにぬしのかみ)のいる出雲王国に亡命するが、詳しい内容を『日本神話』の章に譲る。
大国主神(おおくにぬしのかみ)の根の根国下(ねのくにくだ)り神話は、大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)のいる根の国(死者の世界と解釈される)に行って、最終的に素戔嗚尊(すさのおのみこと)の一人娘の須勢理毘売(すせりひめ;布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)と結婚して、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の宝物を受け継いで地上に戻るが、詳しい内容を『日本神話』の章に譲る。
『古事記』の神話は、神様が誰を神格化したのかも物語もしっかりして、間違いなく詳細が正しく成立したことを示す。

日本神話最高の双璧(そうへき)の軍神(いくさがみ)である経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、千葉県香取(かとり)市の香取神宮と茨城県鹿嶋市の鹿島(かしま)神宮の祭神で、宮城県塩竈(しおがま)市の塩竈神社にも双璧の軍神が祭られて、『日本書紀』で双璧の軍神が茨城県日立市の大甕(おおみか)神社に祭られる天津甕星(あまつみかほし)またの名が天香香背男(あめのかかせお)を討伐しようとしたと記される。
双璧の軍神が天津甕星を討伐しようとしたのは葦原中国(あしはらなかつくに)平定神話の一部とされて、古史古伝『ホツマツタエ』に記されない『日本書紀』独自の記述のようだが、出雲の国譲り神話以前に双璧の軍神が東国平定をした根拠になる。
双璧の軍神が香取神宮と鹿島神宮の祭神と塩竈神社に祭られる理由は、経津主神(武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)と武甕槌神(初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が東国平定をした武将で、中部地方から東北地方南部までを西暦254年までに平定したためである。
経津主神(武渟川別を神格化)と武甕槌神(初代・武内宿禰を神格化)は、景行(けいこう)天皇と物部(もののべ)氏の女性との間に生まれた孫と曾孫で、西暦254年までに中部地方から東北地方南部まで平定をして、西暦260年に出雲王国を崩壊させた武将であり、2人とも武勲などで大臣にまでなったと考えられる。
経津主神と武甕槌神の神刀と伝えられる布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は、国平(くにむ)けの剣(つるぎ)とされるのが双璧の軍神の東国平定と出雲王国平定の帯刀と考えられて、奈良市の春日(かすが)大社で双璧の軍神が摂関(せっかん)藤原氏の守護神として合祀されて、その理由が『ホツマツタエ』の藤原氏系図で双璧の軍神の血筋が関係することにある。
双璧の軍神は物部氏と藤原氏の氏神で、古代天皇家(邪馬台国)発展の功労者として重視されて、後世に大きく政治利用されたかわいそうな神様である。

京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の祭神である火明命(ほあかりのみこと)は、『ホツマツタエ』の記述から2代目・火明命(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)に当たって、彦坐王が古代太陽神の初代・大物主神(おおものぬしのかみ)や天日槍(あめのひぼこ)などにも神格化されて、元伊勢籠神社宮司家の海部(あまべ)氏の直系先祖である。
元伊勢籠神社で火明命と同一神とされる火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)は、九州の日向(ひうが;宮崎県の古名)神話に登場する神様で、なぜ京都府北部に祭られるか分からないだろう。
元伊勢籠神社の伝承によると、火火出見尊が海神(わたつみ)の宮に行く時に塩土老翁(しおつちのおじ;初代・武内宿禰を神格化)の作った籠(かご)に乗ったとか、火火出見尊が雪の中で籠(かご)に乗って現れたとも伝えて、僕なら簡単に求められて説明できる。
彦坐王の子孫で物部氏出身の神功(じんぐう)皇后は、西暦260年11月(神無月)に出雲王国平定をして三種の神器を取り戻して、仲哀(ちゅうあい)天皇9年12月14日(西暦261年1月中旬頃)に息子の誉田別尊(ほむだわけのみこと・即位しない応神(おうじん)天皇;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に神格化)を生んで、摂政3年1月3日(西暦263年2月上旬頃)に2歳弱の誉田別尊を立太子(りったいし;皇太子になること)して、幼少の誉田別尊を雪の中で三種の神器と共に宮崎県に行かせたと考えられる。
神功皇后時代に初代・武内宿禰は大臣で、初代・武内宿禰の命令で作られた船に生まれたばかりの誉田別尊を乗せて、海神が景行天皇の息子の五百城入彦皇子(いもきいりひこのみこ)で宮崎県の統治者と考えられて、五百城入彦皇子の元に誉田別尊を行かせて、後に誉田別尊が五百城入彦皇子の孫娘の仲姫(なかひめ)と結婚して仁徳天皇が生まれたと考えられる。
瓊瓊杵尊(誉田別尊を神格化)と息子の火火出見尊(仁徳天皇を神格化)が同一神とされて、それが火火出見尊が海神の宮に行く塩土老翁(初代・武内宿禰を神格化)の作った籠(船)に乗った伝承につながり、火火出見尊(仁徳天皇を神格化)が雪の中で籠に乗って現れたのが、生まれたばかりの父の誉田別尊を宮崎県に行かせた事実に基づいているからだと考えられる。
火明命と火火出見尊が同一神とされて京都府宮津市と宮崎県に伝承が残るのは、先祖の彦坐王と子孫の誉田別尊と息子の仁徳天皇の物語だからである。

日本神話の隠された忘れ去られた神々は、いつか僕がひもとく時が訪れるまで史実・真実・事実が隠され続けて、この世に日の目を見る時がようやくやって来て、全ての日本神話の意味・価値を忘れられて、「記紀」成立時に把握された古代天皇家の歴史が歴史の彼方(かなた)に葬り去られて、今となっては現代日本人レベルの歴史学者に一切求められず、数百年から数千年レベルで求められないのが当然で、それ以上の超天才の僕が公表すれば解決して、2026年9月3日の午前7時10分に修正した。

<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『日本書紀(上)全現代語訳―全三巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『総図解よくわかる日本の神社』
著者・渋谷申博 発行・株式会社新人物往来社
『日本の神様読み解き事典』
編著者・川口謙二 発行・柏書房株式会社
インターネットの不明サイトから少々拝借

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