古代信仰

古代信仰とは、神奈備(かんなび)や古神道などの古い考え方で、自然の万物に宿(やど)る霊魂や精霊や自然そのものを自分たちの先祖と考えて尊敬して、僕がそれを基本に分析・研究する。
古代信仰の挙例(きょれい)は、神道の万物に霊魂が宿(やど)ると言う考え方に基づいて、御神体山の三輪山(みわやま)や日室岳(ひむろだけ)、岩石を祭った花の窟(いわや)神社、五十鈴川(いすずがわ)の流れを神格化した滝祭神(たきまつりのかみ)、「海の正倉院(しょうそういん)」の異名を持つ沖ノ島(おきのしま)などを挙げる。
神道は、天皇家の宗教で、かつての国教で、西暦84年の日本の建国(天皇家誕生)から武烈(ぶれつ)天皇32年(西暦506年)まで守られて、その後に入って来た仏教と対立や融合して、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などの悲劇も乗り越えて、今の神道が形作られて、僕らの知る古代天皇家の歴史など理解できなくて、超天才の僕が古代信仰を分かる限り求めてみる。

奈良県桜井市の三輪山(みわやま)は、環太平洋ピラミッドと呼ばれるタイプのピラミッドの可能性が指摘されて、大和三山もピラミッドでないかと考えられて、三輪山(みわやま)自体が縄文時代以前から祭祀された可能性もある。
三輪山(みわやま)の大物主神(おおものぬしのかみ)は、「記紀(『古事記』と『日本書紀』)」で一人の神様だが、『ホツマツタエ』に初代から7代目までの大物主神(おおものぬしのかみ)を記して、大物主神(おおものぬしのかみ)が大きな物部(もののべ)氏の主(あるじ;7人の出雲国王)を神格化した神様の意味で、超天才の僕が全てを暴(あば)いて、現代人(僕以外の人間)が求められない超知識である。
崇神(すじん)天皇7年メ月1日(西暦90年11月上旬頃)に彦坐王(ひこいますのみこ)は、初代・大物主神(おおものぬしのかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の正式な斎主(さいしゅ;神事をする人)になって、御神体山の三輪山(みわやま)の山頂に磐座(いわくら;石の祭壇)を祭ったと考えられて、三輪山(みわやま)と麓(ふもと)の大神(おおみわ)神社の始まりである。
御神体山の三輪山(みわやま)の山頂は、2代目・大物主神(おおものぬしのかみ;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)を祭る磐座(いわくら;石の祭壇)があって、垂仁(すいにん)天皇7年前半頃(西暦158年前半頃)に皇位継承権争い(倭国大乱;わこくたいらん)で戦死した狭穂彦王(さほひこのみこ)を怨霊(おんりょう;祟(たた)りをもたらして怨(うら)む霊魂のこと)として祭った。
大神(おおみわ)神社に祭る7代目・大物主神(おおものぬしのかみ)は、仲哀(ちゅうあい)天皇9年神無月11日から17日(西暦260年11月中旬頃)に素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)に暗殺された飯入根(いいいりね)を神格化して、仲哀(ちゅうあい)天皇9年神無月の出雲王国(物部(もののべ)氏)の崩壊を神話化したのが出雲の国譲(くにゆず)り神話である。
御神体山の三輪山(みわやま)は、怨霊(おんりょう)の2代目・大物主神(おおものぬしのかみ;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)と7代目・大物主神(おおものぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)を鎮魂して、大きな物部(もののべ)氏の主(あるじ)である7人の出雲国王を神格化した大物主神(おおものぬしのかみ)を祭って、山全体を古代信仰の禁足地(きんそくち;足を踏み入れてはならない土地)の聖域とした。
7人の大物主神(おおものぬしのかみ)は、7人の出雲国王(物部(もののべ)氏)を神格化して、出雲王国(物部(もののべ)王国)と僕が求めて、物部(もののべ)氏の子孫が三輪山(みわやま)と石上(いそのかみ)神宮などを祭祀(さいし)して、歴史書で出雲王国と物部氏の関係を隠したが、超天才の僕を騙(だま)せなくて、全ての謎(なぞ)を暴(あば)いた。

京都府福知山大江町の元伊勢内宮(ないぐう)の日室岳(ひむろだけ)は、御神体山の三輪山(みわやま)と同じ古代信仰の禁足地として、綺麗なピラミッド型の山として知られて、いつ頃に祭られたか分からなくて、西暦507年即位の継体(けいたい)天皇時代よりも前だろう。
日室岳(ひむろだけ)は、両丹日日新聞2003年2月7日号に禁足地(立ち入り禁止の聖域)の山頂に岩座(いわくら;神のよりしろ)と思われる巨岩があって、1500年以上前の人工的な古代信仰の証拠と考えられるが、多くの人が踏み入るらしい話を聞いた。
『ホツマツタエ』6章の日本神話は、その洞の上に朝日の宮(元伊勢外宮(げぐう)を建立(こんりゅう)して、アマテルカミは懇(ねんご)ろに、トヨケ(豊受;とようけ)の御魂(みたま)を祭ったと記す。
その洞窟の上に朝日の宮(元伊勢外宮(げぐう)を創建して、天照神(あまてるかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が丁重(ていちょう)に豊受大神(とようけおおかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)と山代大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)を神格化)の魂を祭ったと訳す。
富士山の山頂は、中部地方から東北地方南部を平定した西暦254年以降に測量して、元伊勢内宮(ないぐう)が3世紀中頃に大倉岐命(おおくらきのみこと)が祭ったのが最も古い可能性だが、出雲大社を創建した3世紀末から4世紀前半の予測時期よりも、後世の可能性もあって、日室岳(ひむろだけ)の創建時期が特定できる可能性があって、日室岳(ひむろだけ)が夏至の日に礼拝所(元伊勢内宮)から見て、山頂から太陽が沈んで行く。

三重県熊野市有馬町(ありまちょう)の花の窟(いわや)神社は、国生みの女神の伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)と息子の軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)の墓(はか)で、自然の岩石を祭った古代信仰の古社で、『日本書紀』の国生み神話に登場する神社だが、日本神話の神社でも、神代(かみよ)の時代まで遡(さかのぼ)らない。
初代出雲国王の彦坐王(ひこいますのみこ)は、2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)と狭穂姫(さほひめ)を子供として、2代目の垂仁(すいにん)天皇と皇后の狭穂姫(さほひめ)の間に誉津別命(ほむつわけのみこと)が生まれた。
2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の息子の軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)は、実妹を伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)で、その夫が伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)で、その息子が火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)で、物部(もののべ)氏の2代目・火明命(ほあかりのみこと)と軻遇突智(かぐつち)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)と火夜子(ひよるこ)が火の神様である。
垂仁(すいにん)天皇5年6月1日(西暦156年7月上旬頃)に2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)は、皇位継承権争い(倭国大乱;わこくたいらん)を起こして、垂仁(すいにん)天皇7年前半頃(西暦158年前半頃)に戦死して、狭穂彦王(さほひこのみこ)を反乱を神話化して、黄泉国下(よみのくにくだ)り神話になって、民間伝承の山姥(やまんば)と馬吉の民話になった。
狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱の最終決戦地は、三重県熊野市か島根県松江市で、焼死した狭穂彦王(さほひこのみこ)と狭穂姫(さほひめ)の遺体が残らなくて、弥生時代後期の大型陵墓でなく、岩石を祭祀した花の窟(いわや)神社が創建されて、垂仁(すいにん)天皇7年(西暦158年)以降に祭ったと考えられる。
伊勢神宮内宮(ないぐう)で五十鈴川(いすずがわ)横の岩に祭られた滝祭神(たきまつりのかみ)は、古代に五十鈴川(いすずがわ)の流れを神格化した蛇神(竜神)で、明確な社殿を持たない古代信仰の神様で、天照大神(あまてらすおおみかみ)と同格ほどの神格の高さである。 天照大神(あまてらすおおみかみ)は、元々が蛇体の男神(おがみ)として、蛇神の大物主神(おおものぬしのかみ)と滝祭神(たきまつりのかみ)と八岐大蛇(やまたのおろち)と龍蛇神(りゅうじゃしん)などと同一神で、蛇神が天照大神(あまてらすおおみかみ)の前身の古代太陽神と考えられる。
古代太陽神との滝祭神(たきまつりのかみ)は、『ホツマツタエ』に登場しないが、伊勢神宮内宮に平安時代以前から祭られて、古代太陽神と認識されたが忘れられて、滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視したのが八岐大蛇(やまたのおろち)で、八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話が出雲でなく、出雲と伊勢の神話と認識する必要がある。
滝原宮(たきはらぐう)は、伊勢神宮の別宮(べつぐう)で、遥宮(とおのみや)と呼ばれて、内宮と外宮に次(つ)いで、3番目の実力を持つ神社で、その神様が正式に天照大神(あまてらすおおみかみ)だが、実際の古い言い伝えが水戸神(みなとがみ)で、水戸神(みなとがみ)が雨水を司(つかさど)る川の神様で、正体が滝祭神(たきまつりのかみ)と考えられる。
蛇神で古代太陽神の滝祭神(たきまつりのかみ)は、太陽神の要素を忘れ去られたが、超天才の僕が正しく求めて、全てを暴(あば)いたことで、日本神話も正しい評価を生み出した。

宗像(むなかた)大社の沖津宮(おきつみや)がある沖ノ島(おきのしま)は、「神宿(かみやど)る島」として宝物を祭って、航海の安全を祈願した古代信仰の島で、12万点以上の考古学的証拠が出土して、その多さから「海の正倉院(しょうそういん)」と呼ばれて、2017年7月9日に世界遺産に登録されて、島全体を古代遺跡として守るのに僕が賛成で、古代から連綿(れんめん)と受け継がれてきた伝統を汚(けが)すのが良くないと考える。
『ホツマツタエ』で景行(けいこう)天皇12年から19年(西暦202年から209年)に景行天皇は、総大将として九州全土を平定して、西暦210年以降の弥生時代後期後半から古墳時代まで、ずっと沖ノ島(おきのしま)が祭祀(さいし)し続けて、平安時代中期の9世紀末頃に祭祀(さいし)が終わって、沖ノ島(おきのしま)に宝物を奉納しなくなった。
『ホツマツタエ』6章は、またハヤコが真名井(まない)で生んだ三児の御子は、一番目がオキツシマヒメタケコ、二番目がエノシマヒメタキコ、三番目がイチキシマヒメタナコで、3つ子と記す。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と早子(はやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、長女の瀛津嶋姫(おきつしまひめ)竹子(たけこ;誰を神格化したか不明)と次女の江之嶋姫(えのしまひめ)湍子(たきこ;誰を神格化したか不明)と三女の市杵嶋姫(いちきしまひめ)田奈子(たなこ;誰を神格化したか不明)を生んだ。
宗像(むなかた)大社は、沖ノ島(おきのしま)の沖津宮(おきつみや)に瀛津嶋姫(おきつしまひめ)を祭って、大島の中津宮(なかつみや)に江之嶋姫(えのしまひめ)を祭って、宗像(むなかた)市の総社・辺津宮(へつみや)に市杵嶋姫(いちきしまひめ)を祭って、総合して宗像(むなかた)大社と宗像(むなかた)三神として、2024年4月に3つ子と求めた。
沖ノ島(おきのしま)は、3世紀前半に生きた瀛津嶋姫(おきつしまひめ)竹子(たけこ;誰を神格化したか不明)を祭って、実在した人物を100%神格化したと証明して、古代信仰の沖ノ島(おきのしま)の神秘性を引き上げた。

超天才の僕が求めた古代信仰は、凡人(僕以外の人間)が理解できない日本神話の神々…神域で、その超感覚(超知識)を形成する神秘性が奇跡で、日本中や世界中の国々や人々に教える教訓である。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

戻る