思兼神(おもいかねのかみ)と天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)

思兼神(おもいかねのかみ)と天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)は、『ホツマツタエ』に登場する親子の神様で、「記紀」で血縁関係が分からなくて、超天才の僕が詳細を求めた。

『日本書紀』の思兼神(おもいかねのかみ)は、『古事記』で思金神(おもいかねのかみ)や常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)と記して、『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』が思兼神(おもいかねのかみ;思金神)や常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)や八意思兼神(やごころおもいかねのかみ;八意思金神)と記して、思慮深(しりょぶか)く考える知恵(ちえ)や学問の神様である。
オモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、諱(いみな;忌(い)み名)がアチヒコ(阿智彦)で、壮年を過ぎてからアチノカミ(阿智神)と尊称されて、『ホツマツタエ』で別名をヤツココロ(八意)とも言って、八意思兼神(やごころおもいかねのかみ;八意思金神)の神名を「やつこころおもいかねのかみ」と修正する必要がある。

高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の息子の思兼神(おもいかねのかみ)は、妹が栲幡千千姫(たくはたちちひめ)だが、5代目タカミムスビ(野見宿禰(のみのすくね)を神格化)の息子がオモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)で、7代目タカミムスビ(思兼;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)の娘がタクハタチチヒメ(栲幡千千姫;神功(じんぐう)皇后を神格化)で、同族を兄妹と偽装工作して、超天才の僕を騙(だま)せなかった。
オモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、8代目アマカミ(天神;統治者)であるアマテルカミ(天照神;景行(けいこう)天皇を神格化)の初代の左大臣で、後漢王朝の遣使(遣漢使;けんかんし:遣隋使や遣唐使に基づく僕の造語)から、帰還後の景行(けいこう)天皇時代の初めに4代目出雲国王になったと考えられる。
またオモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、ヒヨミノミヤ(日読みの宮;暦(こよみ)作りの担当役)の初代などでも活躍して、4代目出雲国王だけでなく、非常に博識な人物で、古代中国の後漢王朝で、太陰太陽暦を学習したと考えられる。
初代から7代目のオオモノヌシ(大物主;歴代の出雲国王を神格化)は、剣臣(つるぎとみ;右大臣)だが、3代目オオモノヌシ(野見宿禰(のみのすくね)を神格化)の息子のオモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)が左大臣で、歴代のオオモノヌシに神格化した人物を左大臣に当たる神様に神格化して、僕が求めていない可能性が高い。

オモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、アマテルカミ(天照神;景行(けいこう)天皇を神格化)の妹(実妹)のワカヒメ(和歌姫;大中姫(おおなかひめ)を神格化)と結婚して、タチカラヲ(手力雄;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が生まれて、思兼神(おもいかねのかみ)が全国的にも北海道から九州まで、広く祭られる。
オモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、アマテルカミ(景行(けいこう)天皇を神格化)から信頼されて、息子のタチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)もアマテルカミ(景行(けいこう)天皇を神格化)を尊敬する念を強くして仕(つか)えたため、今も伊勢神宮内宮の社殿の中に祭られて、親子共に太陽神や伊勢神宮と深く関係する。
オモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)とワカヒメ(和歌姫;大中姫(おおなかひめ)を神格化)の夫婦神は、タチカラヲ(手力雄;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)以外に3人の子供がいて、イキシニホ(伊岐志邇保)とウワハル(表春)とシタハル(下春)がいる。
伊岐志邇保命(いきしにほのみこと;誰を神格化したか不明)は、山城国造(やましろのくにみやつこ;京都府北部の統治者)の先祖で、天表春命(あめのうわはるのみこと;誰を神格化したか不明)が長野県の信乃阿智祝部(しなののあちのはふりべ)の先祖で、その子孫が阿智(あち)氏で、天下春命(あめのしたはるのみこと;誰を神格化したか不明)の子孫が武蔵秩父国造(むさしちちぶのくにみやつこ;埼玉県秩父(ちちぶ)地方の統治者)の先祖である。
伊岐志邇保命(いきしにほのみこと;誰を神格化したか不明)は、4代目出雲国王のオモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)の息子で、物部(もののべ)氏の祖先神である膽杵磯丹杵穂命(いきしにぎほのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の子孫で、神名がよく似る理由が物部(もののべ)氏の同族だからである。

オモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)とワカヒメ(大中姫(おおなかひめ)を神格化)は、垂仁(すいにん)天皇27年2月5日(西暦178年3月上旬頃)に結婚して、息子のタヂカラヲ(手力雄;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)を3年間(36ヶ月)身ごもって、垂仁(すいにん)天皇30年2月(西暦181年3月頃)に古代中国の後漢(ごかん)王朝に向けて出発して、物部夏花(もののべのなつはな)が古代中国で生まれた可能性がある。
5代目出雲国王の物部夏花(もののべのなつはな)は、垂仁(すいにん)天皇30年頃(西暦181年頃)に古代中国で生まれて、『ホツマツタエ』のタヂカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)の出生を調査する必要があって、後漢(ごかん)王朝の使者である祖別命(みおやわけのみこと)の息子の吉備武彦(きびたけひこ)も古代中国で生まれた可能性があって、これを2025年6月15日の午前9時50頃に求めた。

オモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、妻のワカヒメ(和歌姫;大中姫(おおなかひめ)を神格化)と祖別命(みおやわけのみこと)と共に古代中国に行って、太陰太陽暦を学んで、西暦180年から190年まで研修したと考えられて、オモイカネがアマテルカミ(天照神;景行(けいこう)天皇を神格化)と共に暦法を改新した。
オモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、弥生時代後期に本格的な稲作が普及して、それ以前よりも豊かな社会になって、時代の流れで全員が使いやすい暦法が必要で、海運にも発展が見られて、古代中国まで渡航して、後漢(ごかん)王朝からウリフツキ(閏月;うるうづき)を取り入れて、太陰太陽暦を学習したと考えられる。
使者の祖別命(みおやわけのみこと)は、西暦180年から190年に後漢(ごかん)王朝に遣使して、その付き添(そ)いで、物部十市根(もののべのといちね)と妻の大中姫(おおなかひめ)も古代中国に渡って、物部十市根(もののべのといちね)が太陰太陽暦を体得したと考えられる。

オモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、三重県志摩市(しまし)磯部町(いそべちょう)のイサワノミヤ(伊雑宮;いざわのみや)造営の指揮をして、アマテルカミ(天照神;景行(けいこう)天皇を神格化)の政治の基礎を固めた後、ヒヨミノミヤ(日読みの宮;暦(こよみ)作りの担当役)の初代の長官として、後進の育成に務(つと)めた。
4代目出雲国王の物部十市根(もののべのといちね)は、景行(けいこう)天皇の皇居である纏向日代宮(まきむくひしろのみや)の纏向(まきむく)遺跡の建築を指揮して、景行(けいこう)天皇の政治の基礎を固めてから、太陰太陽暦を使う初代の長官を務(つと)めた。
農業の技術が高度に進んでからは、暦法の正確さが重要になって、太陰太陽暦のヒヨミノミヤ(日読みの宮;暦(こよみ)作りの担当役)で、左大臣の奥を守るのが暦(こよみ)の司(つかさ)と考えられて、オモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)のヒヨミノミヤ(日読みの宮;暦(こよみ)作りの担当役)は、次にムラクモ(天牟羅雲命;あめのむらくものみこと;稲瀬彦皇子(いなせひこのみこ)を神格化)が継いで、次にオモイカネの息子のタチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が継いだ。
ヒヨミノミヤは、左大臣のミチ(道)の奥を守る重要な位置で、太陰太陽暦を使う代々の長官が左大臣を務(つと)めたと考えられて、暦(こよみ)を受け継ぐ物部十市根(もののべのといちね)が4代目出雲国王で、次に継いだ稲瀬彦皇子(いなせひこのみこ)が6代目出雲国王の神櫛皇子(かんぐしのみこ)の実弟で、次に継いだ物部夏花(もののべのなつはな)が5代目出雲国王で、出雲王家(物部(もののべ)氏)の共通性を証明した。
暦(こよみ)を受け継ぐ物部十市根(もののべのといちね)は、4代目出雲国王で、次に受け継いだ稲瀬彦皇子(いなせひこのみこ)が6代目出雲国王の神櫛皇子(かんぐしのみこ)の実弟で、次に受け継いだ物部夏花(もののべのなつはな)が5代目出雲国王で、出雲王家(物部(もののべ)氏)に関係して、神様の共通性を証明した。
オモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、アマテルカミ(景行(けいこう)天皇を神格化)の妹(実妹)のワカヒメ(和歌姫;大中姫(おおなかひめ)を神格化)と結婚して、サホコチタルクニ(山陰地方)とネノクニ(北陸地方)のヲシカ(勅命(ちょくめい)執政官)に任命されて、滋賀県のヤス(野洲郡;やすぐん)に住んだ。
物部十市根(もののべのといちね)は、景行(けいこう)天皇の実妹の大中姫(おおなかひめ)と結婚して、4代目出雲国王として島根県を統治して、北陸を平定した西暦254年以降に北陸の統治者になって、滋賀県野洲郡(やすぐん)にも住んだと考えられる。
滋賀県野洲郡(やすぐん)に住んだオモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、アマテルカミ(景行(けいこう)天皇を神格化)の息子(孫)のオシホミミ(忍穂耳;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)の教育係を任(まか)されて、アマテルカミのオモイカネへの信頼が篤(あつ)い証拠で、7代目タカミムスビ(高皇産霊;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)の息子のヨロマロ(万麿;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)がオシホミミの学友である。

オモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、晩年(ばんねん)をシナノ(信濃;長野県)の下伊那郡(しもいなぐん)阿智村(あちむら)に住んで、ここの阿智(あち)神社がオモイカネを祭神で、阿智(あち)神社の西にある恵那山(えなさん)が昔にアマテルカミ(天照神;景行(けいこう)天皇を神格化)のエナ(胞衣;ほうい)を納(おさ)めた。
オモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、尊敬するアマテルカミ(景行(けいこう)天皇を神格化)を慕(した)って、護(まも)る意思を持って、恵那山(えなさん)の東麓(ひがしふもと)に住んだことが分かる。
東京都杉並区にある天気に関係した唯一の神社の気象神社は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)を祭って、八意(やごころ)が「晴」と「曇」と「雨」と「雪」と「雷」と「風」と「霜」と「霧」の8つの気象条件を指して、思兼命(おもいかねのみこと)がそれらを司(つかさど)ることができて、天岩戸(あまのいわと)から天照大神(あまてらすおおみかみ)を連れ出して、太陽を取り戻した神話から、気象の神様とされる。
『ホツマツタエ』でオモイカネの息子のタチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)は、『日本書紀』が天手力雄神(天手力男神;あめのたぢからおのかみ)で、『古事記』で天手力男神(あめのたぢからおのかみ)と記して、『大和志料(やまとしりょう)』に引用した『斎部氏家牒(いんべしかちょう)』が思兼神(おもいかねのかみ)の息子で、阿智祝(あちのはふり)の遠祖と記して、手力(たぢから)が握力(あくりょく)の強い武神を意味する。
天手力雄神(あめのたぢからおのかみ;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)は、阿智祝(あちのはふり)の遠祖で、雷神の倭文神(しどりのかみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと;織物の神様:誰を神格化したか不明)が天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)の孫で、5代目出雲国王の物部夏花(もののべのなつはな)の血筋が途絶(とだ)えずに子孫がいると証明して、僕が倭文神(しどりのかみ)と建葉槌命(たけはづちのみこと)を同一神とする。

『ホツマツタエ』のタチカラヲ(手力雄;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)は、諱(いみな;忌(い)み名)がシツヒコ(志津彦)で、別名がトカクシ(戸隠(とがく)し)で、戸隠(とがく)しが天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話を意味する。
オモイカネ(思兼;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)とワカヒメ(和歌姫;大中姫(おおなかひめ)を神格化)の息子のタチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)は、3年間(36ヶ月)身ごもって、滋賀県の野洲川(やすがわ)河口付近のヤスカワノミヤ(野洲川宮)で生まれた。
父のオモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、天文学や数学に強くて、暦法に詳しくて、母のワカヒメ(大中姫(おおなかひめ)を神格化)が和歌やコトウタ(音楽)の達人で、息子のタチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が文武と学問が全て優秀な能力を受け継いで、伯父(おじ;母の兄)のアマテルカミ(天照神;景行(けいこう)天皇を神格化)の導きが篤(あつ)くて、立派な人(ひと)となりに成長して、大きな活躍をして、生まれつき力が強かったが、それだけが取り柄(え)でなかった。

アマテルカミ(天照神;神功(じんぐう)皇后を神格化)の天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、タチカラヲ(手力雄;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が天岩戸(あまのいわと)を押し開いて、アマテルカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)の手を引いて、太陽の光を取り戻させて、重要な意味・価値を持つ。
アマテルカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)の妾(めかけ)で、姉妹のモチコ(持子;播磨稲日大郎姫(はりまいなひのおいらつめ)を神格化)とハヤコ(早子;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、アマテルカミの正妻のムカツヒメ(向津姫;八坂高依姫(やさかたかよりひめ)を神格化)に対する怨念(おんねん)で、コガシラノオロチ(九頭大蛇)とヤマタノオロチ(八岐大蛇)になって、タチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が2姉妹の迷(まよ)える霊魂の鎮魂に尽力した。
長野市の戸隠(とがくし)神社の九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)は、『ホツマツタエ』のモチコ(持子;播磨稲日大郎姫(はりまいなひのおいらつめ)を神格化)の怨念(おんねん)が化(ば)けたコガシラノオロチ(九頭大蛇)に当たって、姉妹のモチコとハヤコを弔(とむら)う神社で、ハタレ神話のハルナハハミチの羽羽(はは)が古代日本で蛇を意味して、タチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が捕まえて、コガシラノオロチとヤマタノオロチとハルナハハミチが共に蛇神である。
ハタレ神話のハルナハハミチは、蛇神の邪神で、タチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が格闘の後に取り縛(しば)って、他のハタレの首領であるアメエノミチもお縄(なわ)にして、色々と活躍した。

長野市の戸隠(とがくし)神社は、「奥院の本社に天手力雄神(あめのたぢからおのかみ;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)に祭って、九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ;播磨稲日大郎姫(はりまいなひのおいらつめ)を神格化)が岩窟(がんくつ)の中に地主神(じぬしがみ)で祭って、…二羽の霊鳥(姉妹のモチコ(持子;播磨稲日大郎姫(はりまいなひのおいらつめ)を神格化)とハヤコ(早子;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)と考えられる)あり」と記す。
モチコ(播磨稲日大郎姫(はりまいなひのおいらつめ)を神格化)とハヤコ(弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の祭祀(さいし)は、アマテルカミ(天照神;神功(じんぐう)皇后を神格化)の指示で、タチカラヲ(手力雄;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が長野市の戸隠(とがくし)神社に祭って、心の病(やまい)を断(た)ち切る神威が現在まで、その神社に伝わると考えられる。

タチカラヲ(手力雄;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)は、ニニキネ(瓊瓊杵根;誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)と共にアマテルカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)に教えを直接受けて、年長のタチカラヲがニニキネにとって、義兄のような存在らしい。
後に皇太子のニニキネ(誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)が偉(えら)くなったのは、タチカラヲ(手力雄;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)の影響が大きくて、ニニキネが諸国を巡行した時、タチカラヲが何もかも捨(す)てて、先駆(さきが)けて参上して、ニニキネに対するタチカラヲの思い入れが凄(すさ)まじかった。
実兄の初代ホノアカリ(火明;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)は、アスカノミヤ(飛鳥宮)を統治して、実弟のニニキネ(誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)がヒムカ(日向;宮崎県)を統治して、ニニキネをタチカラヲ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が補佐(ほさ)して、兄弟の2朝廷並列時代である。

思兼神(おもいかねのかみ)と天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)は、4代目と5代目の出雲国王で、物部(もののべ)氏の人物を神格化して、超天才の僕にしか証明できなくて、全体を2025年8月10日の午前9時20分頃に記し終えた。

<参考文献>
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
インターネットの不明サイトから少々拝借

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