お詫(わ)びと拡大解釈など
お詫(わ)び
僕が謝(あやま)りたいお詫(わ)びは、僕のホームページプログラムが古くて、読みにくい部分があること、来場者カウンター(ホームページを見た人数を可視化する機能)を付けないこと、お問い合わせフォーム(ホームページの来場者から、気軽に連絡を取れる窓口の機能)を作らないことなど、昔から自分なりの拘(こだわ)りがあって、理由を書かないが、理解してほしくて公表して、そのうちにプロの業者にホームページ修正を依頼する可能性も、検討中である。
記述が不十分な理由は、僕のホームページ全てを修正するのに時間がかかりすぎて、中途半端で公表せざるを得ないためで、見る人がおかしいと感じる点が多々あるはずで、僕の超知識を凡人(僕以外の人間)が何ヶ月から何年もかけて、ようやく理解できるレベルで、23年以上に及ぶ僕の歴史研究の成果に勝てなくて、比較すること自体がおかしすぎて、歴史研究で必死に挫折(ざせつ)と努力を重ねて、生み出した奇跡の結晶で、誰にもまねできない凄(すさ)まじい数々の大偉業を語れなくて、中途半端な公表を許してほしい。
僕が作成する地図や家系図は、パソコン入力で使うソフトの使用方法の学習時間や、作成した資料の著作権の問題など、多くの問題点があって、公表するまで手間がかかるので省略して、読者が我慢してほしくて、記録を補(おぎな)う情報をネット検索などで調べて、自分自身で調査・研究・分析して、読者本人も努力してほしい。
拡大解釈
拡大解釈は、言葉や語句の意味を都合の良いように広げて解釈することで、古代から連綿と受け継いだ情報に付加したり、最近の情報でも他人が付加したりして、変質するために原形を考えて、注意する必要があって、拡大解釈が十人十色と言うように、解釈する人間の数だけ生まれて、原形をとどめないほどに付け加えられる可能性があって、僕自身も幾らでも、拡大解釈をする可能性があるが、できるだけ原形に近い形で、特定しようと思う。
かつて神道は、万物の神様(霊魂)が宿(やど)る古代信仰を崇(あが)めて、河川や岩石や山などを崇(あが)めて、伊勢神宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)を神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)、御神体山の三輪山(みわやま)、岩石を祭る花の窟(いわや)神社など、純粋な信仰だったが、後世に仏教などと融合して、神様を祭る神社の本殿や御神体を作って、信仰対象の変更などを生み出した。
古神道は、古(ふる)き良き時代の神道を取り戻すために生まれて、変質した神道そのものと神々の本来の姿などを取り戻すため、色々と研究・分析したはずで、僕自身も失われた神々の本来の姿を取り戻すことが大切と考えて、女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)から変更した可能性を求めて、古代信仰の残された痕跡(こんせき)を辿(たど)りながら、毎日の歴史研究に没頭(ぼっとう)する。
「記紀(『古事記』と『日本書紀』)」が編纂(へんさん)した1300年以上前の神様は、多産から大国主神(おおくにぬしのかみ)が大黒様(だいこくさま)と結び付いて、豊漁(ほうりょう;釣(つ)り)の事代主神(ことしろぬしのかみ)が福の神の恵比寿様(えびすさま)と結び付いて、後世に色々な神様に複数の属性が付加されて、元々の姿と変わった可能性が考えられて、これが古神道の古(ふる)き良き時代に立ち戻って、元々の日本を取り戻したいと考えたのだろう。
国や組織は、法律や慣習などを拡大解釈して、個人も常識や情報などを拡大解釈して、拡大解釈なしで成立しない物事が世界中に存在して、神道や日本神話の神様を例に拡大解釈を示して、拡大解釈する前の状態に立ち戻る古神道も例に挙げて、拡大解釈の意味や価値を考えてほしいと思う。
空想の竜は、西洋がドラゴンで、古代中国が竜を食べた記述から、揚子江鰐(ようすこうわに)と考えられて、6千年前の西水坡(せいすいは)遺跡の墓(はか)で、貝殻を敷(し)き詰(つ)めた竜の像が見つかって、中国で現在の角や長い体などを持つ龍になったのが漢王朝時代で、日本の竜神が蛇神でもあって、僕の地元の元伊勢皇大神社内宮で、祠(ほこら)の天龍(てんりゅう)・八岐龍(やまたのりゅう)神社が八岐大蛇(やまたのおろち)を祭って、伊勢神宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)を神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視した古代太陽神である。
八岐大蛇(やまたのおろち;滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視)は、出雲(島根県東部)の斐伊川(ひいかわ)を神格化したが、三重県で一番大きい川の五十鈴川(いすずがわ)を神格化した蛇神も正解で、他にも多くの正解があって、『八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話』の章に詳述して、尻尾(しっぽ)から草薙剣(くさなぎのつるぎ)が出て来たのも、かつて草薙剣(くさなぎのつるぎ)が元伊勢や伊勢神宮内宮に奉納したためで、超天才の僕が日本神話を完全解釈して、神話化と神格化のトリック(手品;てじな)を種明(たねあ)かしした。
奈良県桜井市の御神体山の三輪山(みわやま)に祭る7人の大物主神(おおものぬしのかみ;物部(もののべ)氏の7人の出雲国王を神格化)は、男神(おがみ)と蛇神の古代太陽神で、昔から天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一神の考え方があって、その同一神と別の神様の考え方を僕が証明して、日頃の研究成果が僕本人を超成長させて、地道で無敵な努力を経験し続けて、何度も自殺未遂を繰(く)り返して、歴史研究を辞(や)めたいと何度も考えたが、必死に続けた結果で、現在の一大理論(超理論)の形成につながった。
女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、男神(おがみ)と蛇神の古伝承があって、男性や蛇体の古代太陽神と考えるべきで、多くの日本各地の太陽信仰や神社仏閣(ぶっかく)と深く関係して、古代日本の太陽信仰の始まりが『ホツマツタエ』で、崇神(すじん)天皇6年9月17日(西暦89年10月中旬頃)の夜に太陽神の天照神(あまてるかみ)を所在地不明(奈良県磯城(しき)郡の付近)に遷宮(せんぐう)した元伊勢内宮の笠縫邑(かさぬいのむら)で、僕が普通の常識に拡大解釈を含(ふく)んで、それを無しに成立することが無理と考える。
そんな僕は、2002年10月頃に歴史研究を始めて、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を合致して、その後に考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)を合致させ続けて、2023年5月25日の午後5時頃に『古事記』の干支(えと)の崩年干支(ほうねんかんし)が正しいと確信して、西暦84年から506年までの西暦年がズレるのを繋(つな)ぎ合わせて、『歴代天皇の在位期間の対比図』の章などで紹介して、僕の自論の成果が公然の秘密になって、世界中の誰もが一生かけても、僕を超越する歴史研究の考え方ができない。
超天才の僕は、アインシュタイン博士のような先天的な(幼少からの)天才でなく、後天的な人生経験で、たった一人の独学で、圧倒的に能力を伸(の)ばして、急成長した超頭脳や超知識で、人類史上初の正しい古代天皇家の歴史を証明して、誰も相手にならない天下無敵で、常勝無敗の大偉業を蓄積して、誰もできない古代日本史(古代天皇家の歴史)研究を決着して、歴史に僕の名前を刻(きざ)み込んで、無知蒙昧(むちもうまい;知識がなくて、物の道理を知らないこと)な凡人(僕以外の人間)が勉強する教本を作成して、未来の後輩を教育する「きっかけ」を形成した。
ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアとウクライナの双方に正義があって、どちらを悪として見るかによって、支援国家の協力体制も変わって、拡大解釈が働いて、日本近辺の国(韓国と北朝鮮と中国とロシア)にも正義があるが、日本にも譲(ゆず)れない正義があって、イスラエルとハマス(パレスチナのテロ組織)の戦争も、キリスト教とイスラム教の考え方や教え方の違いなどが複雑で、対立の図式を簡単に消せなくて、流血の悲劇の上に歴史が築(きず)かれて、彼らにも双方に正義を主張する。
日本国内の政治は、政府と国民の立場の違いがそれぞれ、何らかの拡大解釈で、事情が異なって、親子や隣近所など様々な立場の違いでも、拡大解釈が生まれて、法律が常に拡大解釈を尊重して、裁判所が法の解釈を巡(めぐ)って、裁判官や検察官たちが遣(や)り合うような戦場で、国や組織も当たり前(常識)に拡大解釈して、手を変え品(しな)を変えて、自衛隊も日本国憲法9条の解釈問題を先延(さきの)ばしにして、いい加減にしてほしいと思う。
人間の正しいか間違いか二択の考え方は、1+1=2も拡大解釈で判断して、どんな細かい二択も拡大解釈で、答えを出して、人間の全ての考え方が拡大解釈で成立して、僕が考え方の哲学であるエドムント・フッサールの現代哲学理論「現象学」を基礎理論に使用して、その基礎理論そのものが僕の拡大解釈の可能性もあるが、その基礎理論を後世の人々に託(たく)して、未来の希望になることを願う。
純粋な思い
純粋な思いから求めた僕の歴史研究は、『グリム童話』の中の『星の銀貨』や僕の好きなアニメ『フルーツバスケット』に登場する『世界で一番バカな旅人』などの純粋な優しい主人公がモデルである。
『星の銀貨』は、「ある所にずいぶん貧(まず)しい少女がいて、彼女の両親が亡くなって、住む所も食べる物も、着る物もなくて、親切な人からもらったパンと彼女の着る服だけが彼女に残された唯一の物で、彼女がとても良い心の持ち主で、彼女が道を歩いていたら、お腹をすかせた男に出会って、彼女がためらいもなく男にパンを渡して、また歩き出した。
今度は、寒がっている少年に出会って、彼女が親切に着ているフードを渡して、また歩き出すと、また別の寒がっている少年に出会って、彼女が来ているワンピースを少年に渡して、また歩き出して、また別の少年が現われて、彼女に残された唯一の下着を欲しがって、彼女がその下着も少年にあげて、やがて着る物も食べる物もなくした彼女がその場に立っていると、星が彼女の元に降って来て、神様が彼女の行ないを誉(ほ)めて、降って来た星が銀貨に変わって、少女が裕福に暮らした。」までが物語である。
『世界で一番バカな旅人』は、馬鹿な旅人が旅をしていて、どう馬鹿かと言うと、すぐ騙(だま)されて、町の人に次々に騙(だま)されて、その度(たび)にお金や服や靴(くつ)を何度も騙(だま)し捕られて、でも旅人が馬鹿だから、これで助かると言う嘘に涙をポロポロ流して、そしてお幸せにと言って、とうとう裸になった。
さすがに旅人は、恥(は)ずかしくて、森の中を旅して、そしたら次に森に住む魔物たちに会って、魔物たちが旅人の体を食べたくて、言葉たくみに騙(だま)して、もちろん旅人が腕一本や足一本と失って、とうとう旅人が頭だけになって、最後が一匹の魔物に目玉をあげて、魔物が目玉をバリバリ食べて、ありがとうと言って贈り物をあげると置いて行って、贈り物がバカと書かれた紙切れ一枚だったが、でも旅人が初めての贈り物で、うれしいありがとうと目玉のない目からポロポロ涙を流して、そして旅人がポックリ死んでしまった。
その話を聞いた皆は、くだらないと笑ったが、でも少年が目を閉じて考えたら、騙(だま)されて頭だけになって、ありがとうと言って泣いた旅人のことを思うと、なんて愛(いと)おしいのだろうと思って、損とか苦労とか、考えるだけ無駄で、旅人はそんなことを考えてなくて、ただ誰かにとって、それが馬鹿でも、僕にとって馬鹿じゃなくて、誰かにとって、騙(だま)しがいのある人でも、僕が騙(だま)さず、喜ばせてあげたいと思うだけで、それでもやっぱり旅人が馬鹿だと思うか、目を閉じて何を思う。」までが物語である。
グリム童話の『星の銀貨』や僕の好きなアニメ『フルーツバスケット』に登場する『世界で一番バカな旅人』などは、主人公がとても優しい心の持ち主で、下心や打算など一切関係なく、純粋な思いを貫く物語で、優しさや厳(きび)しさなどの個性が、その人の後天的に身に付けた物で、絶対的な優しさを持つ人がそう簡単にいなくて、心のどこかで優しさを失うのが当たり前で、厳(きび)しくて国が滅亡した歴史上の教訓がある。
僕の歴史研究は、純粋で知的な好奇心や探究心から求めて、それを純粋に僕以外の人間に知ってほしいと願う。周囲の人間は、その僕の純粋な好奇心や探究心や知ってほしい思いを理解されず、僕が後付けで著作権などのお金儲(かねもう)けを考えたりするだけで、僕の純粋な思いを理解されなくて勘違いされる。
それは、世の常(つね)だとしても、僕が遺言(ゆいごん)や著作権を残して、WHO(世界保健機関)やUNICEF(国際連合児童基金)などに寄付したり、財団を作ろうと考えたりして、全て純粋な思いの後付けの救世(ぐぜ)で、僕の全(すべ)てを理解されると思わないが、少しでも理解してもらうために、この思いを後世に託(たく)す。
僕は純粋な無知の知…知らないことを知りたくて、皇室を崇拝(すうはい)して尊敬する思いで、歴史研究を20年間続けて、世界でただ一人の「記紀」が隠した正史(正しい歴史)を再現して、天皇家の歴史を求める急先鋒として戦って、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争や倭(わ)の五王などのテーマ(議論や研究の中心的な問題)で、研究者の自分勝手で諸説あって、僕が正論で叩きつぶすしかない。
沖縄県の尾長雄志(おながたけし)知事と玉城(たまき)デニー知事は、「反米」でも「反基地」でも「反安保」でもなく、ただ沖縄県民の生(なま)の声を聞く地方自治体のリーダーで、純粋に普天間基地の危険性を国に訴(うった)えて、こうした沖縄県の要求を保守や革新を問わない歴代知事が繰(く)り返して、今まで政府や国民がほとんど無視して、一方でネット上の誹謗(ひぼう)・中傷がひどい。
このままだと沖縄県は、戦場になって、県民の安全が脅(おびや)かされて、どうすれば良いかの疑問に僕が返す言葉を思い付かず、民主主義の基本が意見や立場を超えて、話し合うことで、研究者や政府や国民などがそれで解決して、歴史や政治や社会活動なども、意見や価値観が違う他者と、とことん話し合う面倒な作業をしなければ、民主主義の発展も深化もあり得ず、本当に大切なことが僕の歴史研究にも言えて、僕の思いを直接に伝えて、他人(僕以外の人間)が徹底的に教育や勉強をしてほしいと思う。
注意書き
僕が書いた日本語入力ソフトWORDファイルの文章(論文など)やホームページ本体の段落と章などの規則性は、僕の信念や習慣やクセと、僕自身で決める法則や順番などで、まとめ上げた規則性の理由を他人(僕以外の人間)が理解できなくて、僕本人の意思で決まるため、誰も僕の真意が分からず、自分の考え方などを忘れるのが人間で、僕もよく忘れて、僕が昔に書いた同名の2冊の『私という存在』のノートを含(ふく)む史料や日記などを読み返して、思い出すことも多くある。
旧暦(太陰太陽暦)の歴代天皇の年月日は、皇統譜(こうとうふ;皇室の戸籍簿)で、初代天皇の神武(じんむ)天皇元年1月1日が紀元前660年2月11日(建国記念の日)で、約40日ずれて、継体(けいたい)天皇元年2月4日が西暦507年3月3日とか5日で、約1ヶ月ずれて、正しい日付が不明で、僕の超知識の公表で、正しい日付を特定してほしくて、僕が書く西暦年月が継体(けいたい)天皇即位日(約1ヶ月ずれる)を基準にするため、正しく理解してほしい。
「記紀」の干支(えと)や西暦年は、理論的に60年間を足し算や引き算できて、60年周期の倍数で、足し算や引き算して、年数や歴代天皇の時代をずらす偽装工作をして、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代や倭(わ)の五王時代も同様で、登場する歴代天皇や古代豪族たちの実在した年代を正しく計算して、僕の自論を教本にしてほしい。
「記紀」は、神様も人物も男女の性別を変更して、『ホツマツタエ』の性別を重視してほしくて、『ホツマツタエ』の神名や人名の読み方なども、現代の読み方などと比較すると、根本的に正しいか、間違いかの判断の基準が分かって、ある種の指標になるかもしれず、注意書きを少しでも、忘れずに頭の中で考えて、思い出してほしいと思う。
日本の色々な神様(日本神話以外の神様も含(ふく)む)の人数の数(かぞ)え方は、一人や二人でなくて、一柱(ひとはしら;いちはしら)や二柱(ふたはしら;にはしら)が正しくて、僕が一神(いっしん)や二神(にしん)と読み書きして、新しく契約するだろう出版社が僕のクセを尊重するか、修正に時間がかかるが、本の記述を根本的に直すか、判断を任(まか)せたい。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、一般的に「あまてらすおおかみ」とも呼ぶが、僕が絶対にこの読み書きで固定して、簡単に変わらないクセで、何十年か前にある学生が読み方を分からず、「てんてるだいじん」と呼んだ有名な話があって、僕が歴史研究を認められたら、神名や人名などを正しく、読み書きしてほしい。
日本武尊は、現在「やまとたけるのみこと」と発音するが、江戸時代以前の「記紀」の写本が「やまとたけのみこと」と書いて、『ホツマツタエ』も「ヤマトタケ」と書いて、「やまとたけるのみこと」が間違いで、古代から日本武尊(やまとたけのみこと)を祭る熱田(あつた)神宮も、パンフレットに「やまとたけるのみこと」と書いて間違った。
明治時代に『校訂古事記』は、なぜか「やまとたけるのみこと」と書いて、それを『日本古典文学大系』(発行・岩波書店)が採用して、間違いを広めて、僕が日本武尊を全て「やまとたけのみこと」と記す。『日本書紀』の武国凝別皇子(たけくにこりわけのみこ)は、『ホツマツタエ』で景行(けいこう)天皇の子供にタケコワケとクニコリワケがいて、2人の人名を混同したと考えられて、僕がふさわしい漢字を武虎別皇子(たけこわけのみこ)と当てはめて、物部(もののべ)氏から分家した阿倍(あべ)氏で、一番最初の当主で、忌部(いんべ)氏などの先祖でもある。
祖別命(みおやわけのみこと)は、現在「おおじわけのみこと」とも書くが、『ホツマツタエ』にミヲヤワケと記して、僕が祖別命(みおやわけのみこと)と読み書きして、飯入根(いいいりね)と宇迦都久怒(うかずくぬ)や武内宿禰(たけのうちのすくね)などを書いて、『日本書紀』の現代語訳本で付いたクセで、『ホツマツタエ』から「イイリネ」や「ウカツクヌ」や「タケウチノスクネ」などが正しくて、正しい読み書きに注意してほしい。
幼少から僕は、日本を「にほん」と発音して、「にっぽん」と発音することが少なくて、大人になっても「にほん」とよく発音して、平安時代に「にっぽん」と発音し始めて、江戸時代に「にほん」と発音し始めたらしくて、東日本が「にほん」で、西日本が「にっぽん」と呼ぶのが多くて、「にほん」と「にっぽん」の発音のどちらが学術的に正しいか分からない。
伊勢神宮の内宮と外宮は、正式な発音が「ないくう」と「げくう」だが、『ホツマツタエ』がウチミヤ(内宮)とトミヤ(外宮)と記して、僕の地元の福知山市大江町の元伊勢である内宮と外宮の呼び方が昔から、「ないぐう」と「げぐう」と変わらず、簡単に変わらないクセである。
僕は昔から氏族の氏(し;うじ)の呼び方は、小学生高学年から源氏(げんじ)と平氏(へいし)と呼んだためか、絶対に何氏(なにし)と呼んで、何氏(なにうじ)と呼ばない昔からのクセで、「物部氏(もののべし)」や「海部氏(あまべし)」などと読み書きする。
難しいの呼び方は、「むずかしい」が関東的で、「むつかしい」が関西的らしいが、僕が昔から「難(むずか)しい」と発音して、宮司家(ぐうじけ)が「みやつかさけ」とも呼ぶが、僕がずっと「ぐうじけ」と発音して、「蝸牛(かたつむり)」が「蝸牛(でんでんむし)」や「まいまい(舞舞)」とも発音して、僕が昔から「かたつむり」と発音した。
昔から僕は、「卵ご飯」や「親子丼」や「うな丼」と呼んで、絶対に「卵かけご飯(TKG)」や「親子丼ぶり」や「うなぎ丼ぶり」と呼ばず、幼少から「塩昆布(しおこんぶ)ご飯」を「塩昆布(しおこぶ)ご飯」と呼んで、豚汁が一般的に「ぶたじる」と「とんじる」と呼んで、幼少から「豚汁(とんじる)」と呼んで、ずっと変わらない。
<参考文献>
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満・著者 発行・ホツマ刊行会
『ホツマ物語』
著者・鳥居礼 発行・株式会社新泉社
『この一冊で「哲学」がわかる!』
著者・白取春彦 株式会社三笠書房
『アマテラスの誕生』
著者・筑紫申伸・著者 発行・株式会社講談社
ウィキペディアの『星の銀貨』
2019年放送のアニメ『フルーツバスケット』の11話
インターネットの不明サイトから少々拝借
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