雷神

日本神話の雷神は、怨霊(おんりょう)の大物主神(おおものぬしのかみ)と火雷(ほのいかずち)、軍神(いくさがみ)の武甕槌神(たけみかづちのかみ)と世界遺産の上賀茂(かみがも)神社の賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)と味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)くらいだが、『日本書紀』の一部に登場する倭文神(しどりのかみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと;織物の神様)も雷神と考えられる。

『日本書紀』雄略(ゆうりゃく)天皇時代の少子部(ちいさこべ)スガルの章は、三輪山(みわやま)の神の大蛇が雷(いかずち)のようだと記して、大物主神(おおものぬしのかみ)が雷神のようで、大物主神(おおものぬしのかみ)が物部(もののべ)氏の歴代の出雲国王を神格化した。
怨霊(おんりょう)の八雷神(やくさいかずちのかみ)の一神である火雷(ほのいかずち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)は、垂仁(すいにん)天皇5年から7年(西暦156年から158年)に反乱(皇位継承権争い)で、戦死した物部(もののべ)氏の2代目出雲国王である。
双璧(そうへき)の軍神(いくさがみ)の武甕槌神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)は、3代目の景行(けいこう)天皇の曾孫で、母方の物部(もののべ)氏である女性(名前は不明)の息子で、優秀な武将で、歴代の大臣を務(つと)めた。
『ホツマツタエ』の賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ;誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)は、母親の神功(じんぐう)皇后が物部(もののべ)氏で、3才で宮崎県に行って、奈良県に一時旅で帰国したが、宮崎県に戻って亡くなった。
『古事記』の味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ;誰を神格化したか不明)は、物部(もののべ)氏で7代目出雲国王の大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神話化)の息子で、農耕の神様で雷神でもある。

倭文神(しどりのかみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと;誰を神格化したか不明)は、別名を雷神の天羽雷命(あめのはいかずちのみこと)で、軍神(いくさがみ)の経津主神(ふつぬしのかみ;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)と武甕槌神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が茨城県日立市の大甕(おおみか)神社に伝わる天津甕星(あまつみかほし;別名が天香香背男(あめのかかせお)を討伐させた武神である。
僕は倭文神(しどりのかみ)と建葉槌命(たけはづちのみこと)を同一神と考えるが、あくまで僕の私見で、他人が調査・研究して、結論を出してほしい。
ネット検索の倭文神(しどりのかみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと;誰を神格化したか不明)は、5代目出雲国王の天手力雄神(あめのたぢからおのかみ;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)の孫で、物部夏花(もののべのなつはな)の子孫が存在した。
『ホツマツタエ』で5代目出雲国王の5代目オオモノヌシ(物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)は、継子に恵まれなくて、従兄弟の6代目オオモノヌシ(彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと;神櫛皇子(かんぐしのみこ)と同一人物)を神格化)を6代目出雲国王に任命して、6代目出雲国王を継げる武勇の息子がいなかったと考えられる。

日本神話の雷神は、物部(もののべ)氏の始祖の彦坐王(ひこいますのみこ)と子孫だけを神格化して、勇猛果敢(ゆうもうかかん)な功績の武将たちを神格化したと考えられて、2025年5月24日の午後8時半頃に修正した。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『丹後文化圏』
編者・坪倉利正 発行・丹後古代文化研究会
インターネットの不明サイトから少々拝借

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